日本のニュータウンを知る

贈与契約書の例

こうした状況の中で、あなたはどちらを選びますか

団地·マンションの管理経費多摩ニュータウンでは11000年を境に民間マンション供給が主流になり管理経費のあり方も変化している。公的分譲団地の管理では、管理会社は入るものの,自主管理的な色彩が強く、九とりわけ!0年代の団地では管理会社組織も充実していなかったことから、全くの自主管理という管理組合もある程、マンション管理は居住者に任されていた。
会計や出納の業務から窓ロの設営など、一般的には管理会社に依託する部分まで管理組合が行っている組織もぁマンションがまだ日本にり、定着していない頃に生まれた管理組合の苦労が見て取れる。
一九八○年代に入ると管理組織も育成されてきて、民間の管理会社が育ってくる。

そして管理組合運営も管理会社のノウハウを利用した維持管理体制が定着した

当時の都市住宅整備公団が分譲した団地では、公団の100パーセント出資の日本総合住生活株式会社旧団地サービスが管理会社を担い、マンション管理に関する業務を代行することになる。とりわけ管理費や修繕積立金を扱う会計や出納業務については専門性の他、信用が評価され管理会社として定着することになった。
こうした状況を経て二000年以降、民間のマンション供給が主流になると、必然的に管理会社も関連した民間会社が採用折からマンされることになる。
ション管理の法律として一100「マンションの管理の適一年にが施正化の推進に関する法律」「区行され、その基本法である分所有法」も翌年の一10011年に改正され、マンション管理が業務として法的にも位置づけらこれによりますます民間の管理会社のサービスも向上し、れた。
大規模分譲マンションなどではホテルのフロントをイメージするような管理サービスも登場し、マンションライフを快適にする新たなマンション管理のあり方が生まれ始めた。こうしたサービスの提供はマンション購入者にとっては心地よい安心に繋がり、とりわけ大規模マンションでのサービス施設は充実していくことになる。
単なる集会室ではないパーティルームやシアタールーム、子育て支援のキッズルームや小規模だがコンビニエンスストアを備えたフロントなど多様な居住者サービスを提供するマンション管理のあり方が示されてきた。
預金と借金の両建てこうしたサービスの提供はマンション販売には欠かせないものとなり大規模マンションだからこそ出来るものとして新たな購入者を集めていった。マンション管理に対するサービスが濃厚であるほど管理費は増加することは必然だが全てが民間のマンション管理となった現在では初期の団地のように自主管理を発意する管理組合はいない。必ずマンション販売に対して管理会社が決められ、管理費と修繕積立金を設定し、さらに当面の修繕や管理を遂行するのに必要な一時金である基金まで販売時に確保するシステムが定着した。
管理会社としては労せず管理ビジネスを展開する費用を確保している格好で、資金計画を心配しないマンション管理事業を始めることが可能になる。だからマンション販売会社とマンション管理会社は関連会社であることが当然のように多

ここでマンション管理費の実態を見てみよう。まずは管理組合の規模による管理費の差は意外に少ない。

多摩ニュータウン内の管理組合を調査してみると五0戸以下のマンションも三00戸の団地も管理費用は変わらない。しかし、個々の状況を比較すると一平方メトルあたり五0円から二00円の開きがあり、00平方メートルの住戸であれば五千円と11万円の開きになる。それを年代別に見てみると自主管理である一九七○年代の物件の管理費は低く抑えバブル経られているが、済崩壊以降の管理費が増大し再び安定して行った経緯が明らかになっている。
このようにマンショマンションが大規模になればなるほど戸当たりの管理費は減少すン管理費を見てくると、る傾向が見えてくる。具体的には概ね一平方メートルあたり一五0円が落ち着くところと思われることから、管理戸数が多いほど、管理費総額は増額し管理会社の経営には有利に働くことになる。

私が住む約一五0戸の団地では管理費六千円と修繕積立金一·四万円で、固定資産税等の支出も加えるとの合計は約三万円で、年間三六万円、一〇年間で三六0万円今後二五年生きるとして九00万円の支出となる。
年金生活の身には毎月三万円の支出は大きく、生涯の支払額としては大きすぎる金額である。少しでも倹約したいと考えるのが高齢化を迎える庶民の考え方であり、積極的に自主管理を進める動きを醸成したい。
幸い、我が団地は居住者がボランタリーに自主的な管理を行うグループが生まれ活動していることから、次第に管理費も低減できる環境が整いつつある。
引き取れない……

贈与契約書さえあれば

空き家除去費補助金
こうした動きが高齢化しても住み続けられる団地を造定住化が進む環境を作りりだし、多摩ニュータウン初期のマンションは五〇円/平米だったものが最近は一五0円/平米と三倍に跳ね上がっている。エレベーターがついたことで経費は上昇するものの、節約の方法はある。エレベーターの管理会社を変え、清掃会社を変える。排水管の清掃を11年に一度にし植栽管理を自主的に行うなど、管理費用を低減する方法はたくさんある。公団や公社が分譲した団地では、良い意味で自主管理が行われていて、民間マンションのような至れり尽くせりのサービスはないが、管理費も少なくなると言う傾向がある。
マンション積極的に管理組合での自主管理を推奨したい。管理は難しいものではないので、マンションの価値観が変わる殆どの人が日本の人口が減少することを認識している時代が来ている。やがて世帯数がバブル経済崩壊以降、第六次マンションブームが続い減少し始めると住宅が余り始める。ていて住宅建設のスピードは止まることを知らないが、一方で空き家数は増加の一途をこれも多摩ニュータウンの場合、辿っている。

都や都市機構の未利用地処分や銀行や企業の負債対象の土地処分が終わると同時にマンションブームも終わりを告げるが、建設された住宅ストックを巡って、その利用に関心が持たれる時代がやって来る。現状の建設ラッシュから推して、世帯数に対して一四パーセント余りの空き家がある現状から察すると、さらに世帯数がピークを迎える二〇一二年近辺では、空き家率はさらに延び、その後一転して世帯数の減少が始ほるのだ。
一五パーセントを越えると思われる。

世帯数の減少は人口減少が始まっても世帯分離が続くことでしばらくは顕在化しないが世帯人員の減少が安定し始めると、世帯数の減少は人口減少と同様に顕在化することになる。従って、その後の空き家は急ピッチで増加することになる。
おそらく、二〇二〇年頃には空き家が二〇パーセントを越えるのではないかと思われる住宅の維持管理は経費のかかるもので、使われなくなった住宅は朽ち果てるまま放置されることが多くなる。

管理しきれなくなった空き家には不法侵入が発生するし放火などで火災の発生の危険度も増すであろう。また、利用されなくなった建物は解体しても、その後に建物は建たず敷地は空き地のままで残されていく。住宅地はまるで実の抜けたトウモ所々歯抜けの状況が広がってくる。ロコシのように、これは今後起こりうる郊外のニュタウンの姿でもある。これをマンションに例えるとさらに恐ろしい状況が発生する。空き家になっても持ち主はマンション管理費と修繕積立金を義務づけられる。
建物の維持管理費用はマンションが存続する限り継続的に発生する。居住しているマンションでなければ、管理は基本的に人任せにならざるを得ないから、リゾートマンションとよく似た構造になる。従って管理費は安くはならないし自分の努力でカバーすることもできない。
所有しているだけで管理費賃貸活用するか売却するしかないのだが、空き家が増加しているマに耐えられない人は、ンションの中古価格は下がり続けて買い手がいないだろうし、賃貸利用者も空き家の多い物騒なマンションは借りない。
建築だけでなく不動産売買も一括で引き受けてもらう従って、そのマンションはゴーストマンションへと転落するのである。とりわけ定期借地マンションで期限満了近くの管理組合の実態はどうなるのか想像するのも恐ろしい。使わなくなったマンションは自分だけの意志で、戸建て住宅のように解体して敷地だけにすることも出来ないから、管理費や修繕積立金を捻出するために賃貸活用するのが普通であろう。空き家が増加すると、そうした賃貸物件も増えてくるから次第に家賃相場も低下する。
平均で空き家が二割もあるような状況では、賃貸マンションによっては空き家が半分などと集中している地区も生まれてくる。過疎化も問題だが、居住していないマンションが増えることももっと問題で、維持費の掛かる収入を生まない資産はマンション所有者を苦しめる環境や建物そのものが良い条件のマンションであっても、コミュニティがしっかりしていないマンションも次第に人気を失う要素を持っている。
空き家の増加は犯罪の多発を生安全や安心が価値を生む時代になる。み、おそらく将来のマンションは砦である。
コミュニティがしっかりしていないと、いくらセキュリティを厳重にしてもコストばかり掛かって決して安全安心は確保できない。たとえば大規模マンションの管理は大規模なだけに抜厳重にすればするほど管理コストは膨大化する。社会経済が資産の循環で動け道もあり、くようになる時代に、維持管理費用の増加するマンションは敬遠される。将来のマンションは相互に競争する時代になる。
隣同士のマンションが安全安心を競う居住の価値を価格ではない評価で選択する時代が来る。
もちろんが、し、賃貸住宅などでは家賃が相場より安いことが空き家を発生させない条件になるが、その頃の家賃は相当こむやみに高いアパートも敬遠される。これから10年もたたない内にマンなされていて、ションの価値基準は大きく変化すると予想している。世帯が減れば空き家は増え、家賃相

場は下落する。低迷するのではなく下落するのだ。
家賃相場は、結局はマンション利用者の人気度で決まる家賃が一般的になり、同様に分譲マンションの中古価格も人気度で評価され、人気のないマンション価格は下落する。
その時、現状のマンション購入者は購入価格と中古価格との差額に愕然とするだろう。都市機構による分譲マンションの建て替えが行われている。ニュータウンの南大沢では、に分譲された三三戸の団地がそっくり再建された。

続いて一九八九年平成元年平成11年建設の二つの団地が再建中である。高々、一五年ほどの建物が解体され0年建替を余儀なくされている現実が多摩ニュータウンにはある。ここには重大な建築瑕疵が報道により全国に広まった。存在しており、コンクリートの建物をそっくり建て替えるな前代未聞の出来事が身近で行われている。
どと言う瑕疵は私の知る限り初めてのことで、建築に瑕疵は付き物で、建設後発見された不備な部分を無償で修繕することを義務づける瑕疵保証がある。
修繕が前提で、建替など視野には入っていないのだがこれは都市機構旧都市公団はそれを受け入れた。事の起こりは当初からの雨漏りや隣戸からの音の貫通などの問題から始まった。
コンク巣が入っている状態がひどく、外部に露出している部分から雨が浸リートにジャンカ

隣との壁にコンクリートが詰まっていないので、漏れが激しいなど、み込んでくる。トラブルは多発していた。建設当時はバブル景気真っ只中。建設に携わる職人は少なく海外か多くの未熟な職人が出入りした。
建設ラッシュが資材調達を難しくしらの応援を含めて、そんな時代に約五00戸の住宅を111年間で建設した。て価格も高騰した時代である。こうした建設状況は当時どこも同じだった。まず、最初に三三戸の団地が建替られた。足かけ11年ほどの転居生活を経て新居に再入居した。
基礎を残しての改築という方便を使った事実上の建て替えは、入居者にとっては新築同様であり、対外的にも新築であった。築一五年の建物が新築になったことで、入居者の不満は少ない。

それならM

ユーザーが決まってしまえば経営リスクはありません。

それも問題発生の初期段階に建替が決定した経緯もあり、都市公団との交渉時間も少なかったことが、再入居率の高い再建となった。同時期の他の団地でも瑕疵問題が発生していた。一方、調査を重ね修繕で改善可能だという都市公団の申し出と管理組合側の意見が対立し問題が長引いていった。しかし、そこに生活しつつ問題を解決するという立場にいる居住者の辛さは想像を絶する。折から各地

新築同様であり、対外的にも新築であった。築一五年の建物が新築になったことで、入居者の不満は少ない。
それも問題発生の初期段階に建替が決定した経緯もあり、都市公団との交渉時間も少なかったことが、再入居率の高い再建となった。同時期の他の団地でも瑕疵問題が発生していた。一方、調査を重ね修繕で改善可能だという都市公団の申し出と管理組合側の意見が対立し問題が長引いていった。
しかし、そこに生活しつつ問題を解決するという立場にいる居住者の辛さは想像を絶する。

折から各地で地震災害が重なり、関東への震災が発生する前に移転したいとする入居者も現れ、売却して移転する世帯も現れた。建替か修復かが争点となっていた。ここでの問題は、たとえ基礎を残していても再建は新築と同様な安心感を生む。しかし、修復は瑕疵が隠れているかもしれないと言う不安を塗り込めてしまうように居住者には映る。居住者は再建を望み建設業者側は修復を主張する。とりわけ同じ団地内で棟によって再生方針が分かれる場合はさらに問題は複雑を極める。ここで問題を整理しよう。一つは、不動産価値としての評価である。
再建と修復では中古と新築の差がある。修復では瑕疵が隠されるのではないかという不安が残る。二つには、例え中古であっても普通の瑕疵物件に比較して不動産価値は落ちる。三つには、総コストである。今後の調査などのコストと再建コストは変わらないと言う現実である。当事者間争いの中心が不動産的な評価に原因するものではないかと思わの争点を耳にしていると、れてくる。

どの争点も不動産の価格に関わる評価の別れで、住み続けることを前提にした議論ではないように聞こえてくる。建て替えるか修復かは純粋に建築技術の問題で、建物が建設当時の技術基準に照らし合わせて同等な修復が可能かどうかの判断である。

預金と借金の両建て出来なければ建て替えだし出来るならば修復になる。不動産価値の問題は別物である。しかし、居住者には収まらない気持ちもぁる。それは不動産が現金化できるものである限り結末は見えない闘争のように思う。住宅の余剰が顕在化してくる中で、建物が利用価値として評価されるようになると、修復であろうと建て替えであろうと、100年以上も使いこなせれば当初の一五年の推移はそれほど問題ではなくなる要素である。
大切なのは、問題を長引かせないで技術的な真を問い、新たな居住する場として使い続けることが大切である。とはいえ、人間の欲は収ほらない。

注記ニュータウンの未来(一五)秋元孝夫著(多摩ニュータウン·まちづくり専門家会議)ニュータウンの未来(一六)秋元孝夫著(多摩ニュータウン·まちづくり専門家会議)

多摩ニュータウンの未来を読む

未来予測の視点都市の骨格を見直す都市の未来を占うのに、ニュータウンは分かり易い回答を与えてくれる。
少子高齢化の現象は、同一世代が集中して流入したニュータウンには顕著に現れ、学校の統廃合の一方で高齢者施設の充実などの課題が浮かび上がる。
住宅不足に後押しされ建設された大規模団地は同一規格の住宅群で、多世代が混在するには住まいが固定的で理想的なコミュニティは形成しにくい。結果として、同一世代が集中して問題が集中する歪なコミュニティの大きな固まりとして地域に影響を及ぼすようになる。
また、市街地を歩車分離するために近隣住区理論とラドバーンの理論を高低差のある地形にダイナミックにあてはめたものだから、結果として段差のあるヒューマンスケールを越えた市街地が出来上がってしまった。
大規模な都市構造のあり様は、明確に土地利用区分に併せて大規模公営住宅や機構賃貸住宅群と言った社会的に限定されたコミュニティが形成されたことにより、多様な価値観の共有するコミュニティミックスが発達せず、地域内での偏りのあるコミュニティが生む問題を浮き彫りにさせしてきたまた、大規模公園や市街地を区分する緑地の連続や集積は、必ずしも景観の美しさや良好な環境をもたらすものではなく、防犯や維持管理の問題を生みだしたし、丘陵地という高低差のある地形を利用した明解な歩車分離の構造は、コンビニのようなロードサイド施設の誘致を妨げ、身近なバス利用も階段や急なスロープなくしては利用できない不便なものにしてしまった。

このように、大規模にダイナミックに開発したことによる弊害、それに加えて大規模に短期間で供給した均一な住宅、そして持ち家、借家という性格の異なる歪なコミュニティを生み出した事実を見逃せない。団地群を形成させたことにより、こうした都市の構造を今後どのように改善することで良好な市街地に再編できるのか多摩ニュータウンに与えられた課題は大きい。われわれ多摩ニュータウン住民にとって、これらの課題を一つ一つ解決して行くことで多摩ニュータウンの未来が拓けると考えている。我々は新たな都市の姿を求めて再編を始めなければならないときに来ている。
改めて都市を見直し、未来の多摩ニュータウンを創るためのコミュニティのあり方、住まいや環そしてそれを支える経済について持続可能な都市経営が可能な新たな仕組みを見境の姿、出すことが必要になっている。その仕組みを多摩ニュータウンに居住する市民や専門家が結集して、解決策を探ろうと考えている。専門家のみならず居住者、行政、外部からの応援団などを結集して、新たな多摩ニュータウンを共に創り上げてみるつもりである。

多摩ニュータウンに対するこうした試みは、未来の多摩ニュータウン住民のために役立つのみならず、様々な地域でまちづくりに係わる人々の参考になるものだと思うし、現実的に起こっている事象について解き明かすことで、同様な問題を抱える地域でのまちづくりの参考になると考えている。たとえば建設後三五年を経過した、住宅面積が三0平方メートル台の一五00戸の公営

住宅がある。
隣接して五○平方メートル余りの三八五0戸の公団賃貸住宅が一団を成してその賃貸団地に組み入れられたような配置で六四〇戸や八八0戸の分譲団地が再生おり、を模索している。このようにすでに三五年を経過した住宅団地群には解決すべき問題課題が山積している。
とりわけ、公営住宅制度や公団の賃貸住区制度などの既成施策では、高齢者や低所得層の集中といった偏りが地域のコミュニティを疲弊させる問題として顕在化しており、地域のみの問題として解決することの出来ないものとなっている。
それは国の法的な改正も視野に入れた総合的な取り組みが必要になって住宅政策上の課題でもあり、このままでは公営住宅には高齢者が集中することは必至だし、大規模すぎる住宅ストッ安易に家賃を下げれば貧困世帯をさらに集中させるこクは次第に空き家を増やしていき、とにもなる。
田舎暮らし

信頼できる

本件建物

そんな市街地に空き家が集約していることになる。市街地は同心円的に広がっているのだから10キロメートルで区切った場合、郊外に行くに従って空き家は拡散しており、いかに空き家の絶対数が一OS二〇キロメートルに集中しているかがわかる。そこは環状七号線から10キロメートルという圏内である。いわゆる密集住宅市街地の集中しているところで、都市再生の重点的なエリアでもある。都市の開発状況とも相関する。
空き家の動きは、都心回帰が進む中央区では平成一0年に空き家密度が八七一戸/平方キロメートルだったものが五年後の平成一五年には五二五戸/平方キロメートルに減少していて、空き家率も1111.九パーセントから10.0パセントに激減した。これは新規供給のみならず既存空き住戸が埋まったことによる変化であり、見事な都心回帰と言うことが出来よう。
空き家を減らし居住者を増やしたということにおいては確実に地域の活性化を招いたと言える。一方、台東区の場合を見てみよう。同様に空き家密度が一0七0戸/平方キロメートルから一五七四戸¥平方キロメートルになり、空き家率が1111.八パーセントから一六·八パーセントに動いた。
住宅に居住する世帯数も一万五千世帯ほど増加しており、マンションラッシュに転入世帯が負いつかない状態。供給過剰の状況になっていることがわかる。もう一つ特徴的な所に豊島区がある。

空き家密度は多少減少したものの一七二九戸/平方キロメートルが一五四七戸¥平方キロメートルと高水準を保ち、空き家率も一四·八パーセントが一二·九パーセントと少し減少するに止まっている。世帯数も六千世帯ほど増えているので、構造的に空き家が多いという特徴を持っていることになる

アパートなどの空き家が多い。もともと賃貸住宅の多い空き家は殆ど賃貸用の住宅で、今後、地区でもあるが、その数は増えたり減ったりと地区によって特徴が出る。
こうした世界の都市の趨勢を見ればその現象が何をもたらすか空き家の問題がどのようになるか、次第に空き家が増えることで治安が悪化し居悪くすれば地域の崩壊に繋がる。
は明白で、次第に悪循環住者が次第に減ってくることが、さらに空き家を生みスラム化を助長する。銃社会のアメリカほど危険ではが起こり最後には住めない町になる可能性を持っている。ないが、犯罪は多発するだろうし賃貸経営も続かなくなるだろう。ここには二つのシもう一つの危険な市街地が五0キロメートル以遠に広がる市街地だ。平たつは旧来からの駅を中心とした市街地を形成していた商業集積地、ナリオがある。
1居住者が自動車利用を前提とした生活になったことで駅前く言えば地方の商店街である。幹線道路沿いに展開する量販店に客を奪われている状況がある。幸,の商店街を利用しないで、従業員のアパートもあった市街地は次第かつては商店がある所に併設する住宅があった。

建築だけでなく不動産売買も一括で引き受けてもらう殆どが無駄各地で商業活性化のてこ入れをしているが、にシャッター通りとなっている。衰退に向かう流れは仕方ない事であるように思う。骨である。

二つめのシナリオは、郊外に展開したニュータウンである。都心部への通勤を前提としそしてバブル期に郊外に広がりすぎた。たニュータウンの拡大はオイルショック前に、今、そのニュータウンが存亡の時を迎えている。
都心回帰は郊外の地価の下落を生み、都市に人口が集中するとともに地価は下落していくことを考えると、郊外に居を求めて移住した人の多くは再び都心には戻れない状況に陥る。
少なくとも多くのローンを抱えたままの転資産価値も低迷している中での移住は難しい。しかし、売は困難だし、一部の裕福な世帯のみが都心回帰を図る。グラフは郊外の空き家率の増加を示していて、これも年々増加している見渡せば空き家だらけのニュータウンで誰が住むのだろう。
多摩ニュータウンがどうなるかは軽々にいえないが、多摩ニュータウンの中でも選別が生まれることは確かで、人のいなくなる所と人の集まるところがはっきりと現れるはず。それが10年後なのか三0年後なのか予測するのは難しいが、問題の発生を野放しにすれば、衰退は確実にやってくる。
マンションブームの余波を受けて比較的新しい都市機構の賃貸住宅や公社の特定優現在、良賃貸住宅に相当空き家が発生しているが、こうした空き家状態が続くと安全安心な環境は維持できず、居住の継続すらままならない状況になる可能性もある。
三大規模開発の不幸土地利用計画がまちを滅ぼす首都圏二○y三0キロメートルの多摩ニュータウンは現段階で大雑把に見ると、家賃さえ市場に対応させていれば空き家の発生で恐れることは無いと見える。しかし多摩ニュタウンの土地利用は住区を単位とした大規模なブロックに区分されているので、そのブロック毎に土地利用が制限され市街地の栄枯盛衰が決まってしまうことがある。

つまり大規模な賃貸住宅エリアや分譲マンションエリア、そして戸建て住宅などの土地利用の違いがブロック単位で構成されていることによって、市街地の活用範囲が限定され、時代の要請に街が追随できないと言う理由で時代に取り残される市街地となってしまうことがあ多摩ニュータウン初期に供給された一五00戸もの一団の都営住宅公営住宅の塊の賃貸住宅のエリア、三八00戸もの都市機構そして六四0戸と八八0戸の分旧公団昭和四七年から五一年までに建設された住宅が集中している諏訪永山地讓団地の塊など、区の将来が気がかりだ。
まさに新住宅市街地開発法によって整備された計画市街地の姿である。それだけに市場原理から取り残された利用されない商業施設や廃校になった校舎など、当初の目的をすでに終えた施設が余っている。基本的に修復型の再生計画でなければならないと考えてこうした団地や施設の再生は、いる。

すでに三五年もの間、住み続けている人々を含めて、永住できる安心があることが全てを建て替えることが、経済的に有利だとする意見もあるようだがまちの姿である。経済活動を優先する為に個人の生活が犠牲になることがあるとすれば、それは多数決の暴白か黒か白も黒も力である。

別の論点

地価公示価格

注意点2
土地利用計画はではなく共存してこそ理想的な共生

が生まれる。まちづくりは排除の論理ではなく、共生の論理で遂行すべきものでなければならない。現在、六四〇戸の諏訪二丁目住宅で建替計画が進んでいる。住戸数が倍増する計画がされていて、地域に与えるインパクトは大きい。こうした事業がこれまでの不備だった土地地域にとってふさわしい事業になるためには多くの地域の意見を採り入れ利用を改め、ダイナミックに修復していく思想が必要になる。

とりわけ都市機構の賃貸住宅に隣接して一体的に開発された地区での建替であり、隣接敷地のみならず周辺の街路整備や土地利用を含めた将来的な計画を策定しながら建替計画が進むことが望まれるやりすぎた街区構成スーパーブロックで計画された多摩ニュータウンには不便なことが多々発生している。
とりわけ初期のスーパーブロックは区画整理区域が組み込まれていないために、土地の自由な利用が制限されていて、コンビニエンスストア1つ建てられない土地利用になっている。特にコンビニエンスストアは自動車利用を念頭に配置するため、沿道沿いの土地を確初期のスーパーブロックには土地利用計画が厳密に定められており保することが多いが、スーパーブロック内にあった一部のスーパ商店などを誘致できる土地は無い。
結局、マーケットが二四時間オープンの看板を上げた。幹線道路と居住地の高低差が大きいので、また、歩行者専用道路からバスの走る車道に降りるのに階段や長いスロープを利用するしかなく、バスに乗るのも不便だし車椅子だと電動車椅子でなければとても対応できない急勾配のスロープばかりがそこにはもう大変。

ある。当時は基準が緩やかだったのか、スロープでさえあれば自転車や乳母車などの移動には支障がないと思ったのか、若い子育て世代が集まった時代には、老々介護など想像だに出来なかったのだろう。子育て都市が多摩ニュータウンのイメージだったのだから致し今後はこの街で高齢者も生活していかなければならないことを念頭にす方ないとはいえ、ると改善は待ったなしだ。
時は今、高齢化が問題になり、バリアフリーにノーマライゼーションの言葉が世間の常識となり、今ではユニバーサル都市という概念を国は多摩ニュータウンに持ち込もうとしている。『ユニバーサルデザインの複合都市に1老朽化ニュータウンを再生へ国土交通のタイトルが二00五年のニュータウン再生の新テーマである。
ユニバーサルデザイ省』「障害者·高齢者·健常者の区別なしに、すべての人が使いやンそのものは辞書によるとすいように製品·建物·環境などをデザインすること。
一九七四年、アメリカのメースにとなっており、住みづらい状況を改善しようと言う試みは美しいよって提唱された概念」が国の計画にどこまで期待して良いのか結果を待ちたいものであるもし、多摩ニュータウンが時代を通じて使い続けられるユニバーサルデザインの街になるとすれば、今後も引き続き機能や性能の改善を通してリ·モデリングされるに違いない。

遺産分割の方法による節税対策(相続開始後の対策)これは国の施策展開を待ちたいが、やはり住民の自主性に期待したい。多摩ニュータウン大きすぎる土地利用を繰り返してきたことで、それぞれに大地主を育んできた。は幸い都や公団公社の賃貸住宅は大地主の貸家である。また、分譲マンションの管理組合は大規模団地を管理運営する大地主である。
管理組合には修繕積立金という金融資産があり、大

規模な土地の活用について判断できる管理組合という組織を持った団地が集積しているのが多摩ニュータウンの姿である。また、そこに居住する人材は首都圏の企業に勤めているエリートであり、退職した富裕層でもあるのだから、地域に貢献するつもりになれば大いなるパワーを発揮するに違いな建物や都市基盤はしっかりしている。そして人材は豊富だとすれば、い。
資力はある。これに優れるものはないと言い切れるのではないか。多摩ニュータウンの底力の試されると大規模すぎる土地利用はこうした副産物を残した。ころである。

人·物·金の三拍子揃った多摩ニュータウンを活かすのも殺すのも居住者一人一人の意識である大規模マンション開発を占う多摩ニュータウンでは民間のマンション建設が相変わらず続いているグラフは私が確認している限りの新住区域での民間マンションの整備状況だが、区画整理区域も合わせるとさらに多くの民間マンションが建設されている。
これらの民間マンションは殆ど完売が続いているので、用地を供給する東京都と都市機構の売却が続く限り、多摩ニュータウンのマンション供給は続くと思われ現在の多摩ニュータウンのマンション供給は、公社や機構が直接住宅供給できなくなったことから、その担い手は民間のディベロッパーに委民間ディベロッパーの事業としてリスクを少なくすることが土ねられている。

そこでは、売れる住宅が供給されることになり、その為に基本的に土地の地購入の条件となる。価格は販売予定価格から逆算された採算ラインが売買価格となる。いわばそれが市場の土また、マンション購入者は周辺のマンションと比較して、地価格ということになる。価格が安いことが購買の動機となることから、順次販売されるマンションが売れるマンション地価のコントロールは欠かせない。

創業30年感謝の会

美しい街並みは地域の財産

つまり、地価は毎年下降することがであるためには、未処分の用地を整理するためには必要で、土地の路線価も毎年五パーセントは確実に減少し続けてきた。

このようにして、一物件100戸を超えるマンション供給が続々と登場している現状の中で、一団地六八○戸もの定期借地権付き民間分譲マンションや多摩市最大のマンション五三〇戸、多摩ニュータウン最大では八四五戸のマンションも完売してしまった。多摩センター駅周辺ではさらに新たな分譲マンションの供給も進み、今後もマンション供給の勢いは止まらないと思われるほど、マンション建設が頻繁にある。

民間のマンション供給で効率を考えると大規模マンションにならざるを得ないのだろうが、ある以上、これまでの公的な開発とは一八0度異なり、緑地も殆ど無い、容積率を目一杯使った土地利用が展開されている。いつかは老朽化して寿命が来る建物であるが、多摩ニュータウン初期の大規模団地ならば、建替を検討する余地もあるが、現在建設されている民間のマンション群の建替は現実的ではないだろう。
余剰容積をベースにした建替計画は成り立たないし、高層マンションに住み着いた世帯を移動させることも至難の業である。定期借地権マンションであれば期限が来れば必然的に退居して解体することになるが、一般のマンションではそうはいかない。
とりわけ超高層などのマンションを建て替えようとした場合には、実現は途方もなく困難だと思ってしまう。

結局、現在、供給されているマンションは100年や二00年という超長期の利用を前提に維持管理するという選択が取られるはず。すでに容積を目一杯使った建物であり、等例え今後建築基準法や都市計画法が大改正され価交換などの建替手法にはならないのだ。て容積率が倍になったとしても多摩ニュータウンが世界的に注目され、多摩のマンハッタンにもならない限り容積率を活かした建替は困難なのだ。
もちろん多摩ニュータウンが将来ともホットスポットであることを前提としなければ既存住宅の維持にも困難が生じることになり、マンションの評価が問われる時代が早晩、到来するだろう。良いマンションは高く売れ、悪いマンションは見捨てられるという構図は市場に住宅が潤沢に供給されることによって発生する価値観である。

信頼できる現在、大量に供給されたマンションや団地の中で、このマンションは衰退する。このマンションは生き残るだろうと言う予測は容易に付く。それが大規模に供給された分譲マンションの顛末であるように思う。もちろん、公的な団地も同様な憂き目に遭うことを避けることはできないその為にも居住者自らが地域をホットスポットにし、建物のレベルをアップさせるような工夫を重ねることが大切になる。
計画規模と実態人口のずれ「計画規模-一九八〇ヘクタール当たり、多摩ニュータウンの開発は計画人口約三四万人現在人口約110万人」が都市機構の公式ホームページからの情報だったが、同時期の八王「総面積約二八九〇ヘクタール当たり、子市のホームページには居住人口約二八万人」と謳われていた。
また、東京都都市整備局のホームページには「計画面積二九八四ヘクタール、計画居住人口三0万人、現在一八万人」、そして東京都南多摩保健所が出している多摩ニュータウンの人口動態「総面積-一九八〇ヘクタール、によると建設計画での居住人ロ約三0万人、平成一五年時点居住人口110万0四0五人」となっており、それぞれの機関により公表数字が微妙に異なっているというのが多摩ニュータウンの特徴でもある

「ニュータウン当初の計画を確認するために昭和四八年発行の日経新書精一著」を参考にすると『計画人口は、当初の三0万人から四一万人に変更して少しでも多くの住宅が供給されるようはかられた。

計画戸数は10万九六00戸。ただし,自然保護の観点からふたたび人口をやや減少させようとする動きが見られる。事業期間は昭和四一年から五11年と予定されている。』とされており、計画人口にも浮き沈みがあったことを物語っている。計画期間も昭和五二年を目途としていたが、結局は未だに未造成の一九住区を残す状況で、当初の完了予定から三〇年も経過したことになる。
こうした人口計画のもとに整備されてきた多摩ニュータウンではあるが、計画人口に対して実態人口の把握が難しく、とりわけ四市に跨っていることと多摩ニュータウン区域が町丁目に合っていない区域設定であることなど、人口把握が難しい条件がさらに加わり正確な調査ができない状況がある。
こうした条件の中でも東京都南多摩保健所の人口動態調査は平成11年以降、住民基本台帳ベースでの多摩ニュータウンの人口調査を継続していることもありデータとして信頼できるものだと考えている。筆者も平成11年の国勢調査データに基づいて多摩ニュータウン区域の人口を集計して調査区が区域外と区域内に分かれるところは案分して、みた。
調査区毎に拾い出してみたその結果は一九万六100人と言う数字で南多摩保健所が平成一三年一月一日現在の住民基本台帳調べの一九万六五八八人とほぼ同様な数字なので概ね正しい数字だと考えている。
ただ、多摩ニュータウンは学生も多いので、住民票をベースとした住民基本台帳と実態ベースの国勢調査では実態の方が多く出るという特徴もあるのだが一概ねの数字はあっているという意味で正しいと考えられる多摩ニュータウンの人口把握は難しいが、計画人口はさらに曖昧なものになる。
また「計画人口と目標とする居住人口は違う」という説明や計画人口は修正したという経緯もぁり、その時の状況で動くのが計画である。多摩ニュータウンの場合も当初の計画人口三四万人は一世帯の人員が四人として積み上げられたもので、すでに世帯分離が進み出生率も史上最低を示す時代にはこの計画人口も当てにならないことになるでは本当の計画人口はどう考えれば良いのか。
計画人口は目標人口でもあり、施策的な誘導なども加えて決定するものだが、ここでは人口の実態をベースにして、現実に土地の残っている面積から戸数を推計して積み上げてみることにしよう。
法定後見人

課税価格の合計額

及び本契約条項のいずれかに違反した時。

また、子育てと高齢者は縁が深い。親世代が働い高齢者が子供を見守った歴史がある。ている間、その時、子供も親も高齢者も役割分担を例えれば昔の農家の姿をイメージすれば分かり易い。しかし、していたことになる。こうした環境は多摩ニュータウンには育っていないことが高齢者と子育て世帯の関係を判りにだから、くくしている。行政も高齢化対策と子育て支援とは別の取り組みになる。多摩ニュータウンの場合、一部の住宅に高齢者が集められている節がある。
古い公的賃貸住宅でも顕著だが、比較的住戸面積の広い分譲マンションなどでは、子育て期間を無理なく住み続けることができたことで高齢化が顕在化し始めている。家族四人で個室が持てほぼ,八五平方メートル以上の広さの住宅にる大きさ、それは3LDK以上の住宅であり、高齢化が集中している。高齢者が好んで入ったのではなく、いつの間にか高齢化してしまったというのが現実。

居心地が良いだけにみんなして高齢化してしまった結果、高齢者が目立つ団地になったという結末である建物はマッチ箱型の階段タイプでも南面三室の広い住宅であり、そこは、間口より奥行きの方が短い住戸プランは換気が容易で結露の発生も少ない快適な居住環境の住宅だ。だバブル景気にも踊らされず定住していたことが、からこそ、結果として集団で高齢化を迎える結果になってしまったのだ。
こうした住宅ストックは見方を変えれば子育て世帯には利用しやすい住宅である。だから売却してもある程度の資産評価はあるし、賃貸に出してその資産を活用した住み替えも容易である。

も家賃もある程度確保できるので、こうしたマッチ箱型の住棟が連続する団地は、初期の開発であるだけに容積率や建蔽率は余っていて、増築や建替も有利に組み立てられる団地であることが多い。おまけに建物の妻部には窓がない。そこで既存建物に隣接して増築することも支障がなく出来る場合がまた、多摩ニュータウンなどの場合は、ある。
幹線道路との段差を緩衝させる為に団地の周辺が斜面緑地で囲まれているケースが多く、こうした緑地の利用も建て増しをするための敷地として利用できるそこに団地管理組合が運営するバリアフリー賃貸住宅を作り、四階や五階に居住している高齢者世帯が団地内で住み替える住宅として利用すれば、同じコミュニティで住み続けることができる。

親の含み益を移転し空き家になった住まいは若い世代に賃貸して、その賃貸料を団地内賃貸住宅の家賃に回すという仕組み。さらに、その賃貸住宅にプレイルーム等を併設して学童サポートを入居者も支援すると言った、保育所を開設し、地域で相互に支える仕組みを作

れないだろうかというのが提案である。三世代が各々の役割を担ってきた村社会が嘗てあったが、こ寸仕組みさえ作れば多摩ニュタウンの中でそれが実現する可能性を持っている。とりわけ、高齢化した世帯の多い団地には、それが可能な資産と環境がある。
後はその仕組みを具体化する知恵があると良い。住みづらくなった住宅を若い世代に利用させ、高齢者はコミュニティが建設したバリアフリー賃貸住宅に移住する。
複数の管理組合が協働で建設する場合や単独の団地管理組合が建設する場合もある。ポイントは住み慣れた地域で、地域と関わりながら暮らし続けるこ管理組合が合意を取るのは難しいが、とである。
その気になりさえすれば何でも出来るのが大地主たる管理組合の力である

老人ホームと思われているが、家で死ぬ現在、高齢者の最後の住まいはことを「永山ハウスしたいと考えている。我々が取り組んでいる(仮称)」
それを目指して生まれてから死ぬまでの過程の最期を家で迎えるという、いる。当たり前の幸せを実現させたいと願っている。その為には、医療や福祉、そして食を通しての健康管理は必要だから、建物の1階には高齢者の生活支援サービスを提供する施設と共に最期を看取るための医療拠点、健康を管理する食のサービス施設を併設させる予定だ。このように高齢者が安心して住み続けることが出来る所には若い世代も積極的に居住できる。
誰かが誰かの負担

になるのではなく、互いの不足を補う関係が生まれることが判っているからである。新婚世帯も子育て世帯も互いの持っているものを出し合うことで高齢者世帯との役割分担が可住み続けられる都市我々は多くのことを行政に委ねてきた。
道路整備から学校建設、公共施設整備や公営住宅づくりなど建設に係わること、そしてその維持管理や運営に係わることまで行政に委任とはいえ、してきたことを反省する時期に来ている。
ニュータウンの場合は都や公団といった事業者の方で基本的な施設の建設などは進めていたことから、地元行政は維持管理を引き受けて来たのだが、今後は市民が維持管理に手を出すことが必要になっている。誰かがやってくれるのを待つのではなく、自らが地域の維持管理に係わっていくことが必要になっている。
いわば、マンションの自主管理によく似ていて、住民の自主性が生かせる範囲で住民参加の機会を増やしていくことが望ましい姿になる。今後、高齢化は一層進み、就労人口の減少からニュータウンに流通する資金量は減少する。
土地のリース

表示に係る建物の設計プランについて

高齢者を呼び込むことになる
その時に経済的な閉塞が発生しないように小さな資金の循環でも大切に扱い、それに蓄えた資金の循環を加えることで住み続けるための基本的な経済循環を促すようにすることが重要になる。生活に係わる資金はの他、医療や介護に係わる安心サービスや生き甲斐に繋がる文化活動や社会参加の費用といった生活関連費用が経済の循環として必要になるが、に関する費用が発生しない場合年金生活者の実態を見るとそこで今後の住み続けるための住宅づくりには、かなり経済的に安定すると考えられる。
に必要な資金を想定すると以下のようになる。
「維持管理を目的とした修繕のための費用」と「機能や性能住宅に最低限必要な資金はであるから、極論を言えば修繕費用として一五0円/平米、を向上させるための投資」更新費用として一五0円/平米、税金として一00円/平米、諸経費として一00円/平米の合計五00円/平米程度の家賃で住宅は利用できると考えられる。

つまり、五0平方メートルの住宅では家賃月額二万五千円、100平方メートルの住宅で五万円ということである。これさえあれば維持管理出来るのだから、原価償却の進んだ公的賃貸住宅などの家賃を減額すれば、多摩ニュータウンでの居住者の多くが無理なく豊かに生活が出来るようになる建物には償却という考え方がある。

建物を建て替える資金を準備するため、一定期間に投資した資金を回収して再投資の為に蓄えるという考え方である。この期間が現在、税法では木造二二年、木骨モルタル一10年、鉄骨造三四年、鉄筋コンクリート造四七年としている。つまり資産的には鉄筋コンクリートの建物だと四七年で資産価値がゼロ評価になる概ね償却期間が過ぎたら建替を考えることになるのがこれまでだったということである。
が、住宅が余り続ける時代には再投資は必要ない。今あるものを長く使い切ることがテーもちろん必要に応じて新規建設も必要になるだろう。マになる。
その場合には、当然のよただし、うに100年利用できるストックを建設する。むやみに建設するのではなく将来に向けて廃墟にならない地域に投資する。

これが住宅を社会資本として建設するためには欠かせない手続きである

多摩ニュータウンのマンションブームでは余り続ける住宅を整理することなく現在、新しい住宅供給が相次いでいる。こうした新規供給も今後は都市の資産として後世に継承されることになり、旧来の住宅ストックと共に長期活用可能なストックとして活用が行われるようになるだろう。
とりわけ公的賃貸住宅の空き家の活用を推進するため、さらなる家賃の改正が行われ周辺から人を呼び込むことが行われる事になり、こうして転入した世帯が蓄えられた持ち家ストックを購入するという住まいの循環が進んでいく。
多摩ニュータウンには時代に合わせた住宅資産があり、将来に渡って使い続けることが出来る耐震耐火の建物ストックが集積している。こうした都市の資産を活かして、それぞれの特徴を見定めて補填すべき施設や住まいを加え、各々を結びつける仕組みを与えることで住まいの循環をより安定したものにして、安心安全なまちが生まれると考えているこうした都市経営が住み続けられる都市には欠かせない。
その為には、都市の資産を活用する視点に立った居住者の意見が必要で、市民自らが都市経営に参加し意見を言い、責任を持つことが大切である。
生まれそして死ぬことコミュニティを作り育てることが今後の地域づくりであるならば、多摩ニュータウンが住み続けられる街として定住化社会を迎えるためには、生まれてから死ぬまでのライフブランを完結できる環境を整える必要がある。どこで生まれ、どこで育ちどのように育てられ、学び、遊ぶ場を持つか。働き、そして老いを迎えて死ぬという課程の中で、地域の仕組みが欠かせない。

預金と借金の両建て産院、保育園、学校、公園、公民館、図書館、劇場、遊技場、温泉飲食店、マーケット、病院、寺院、斎場、墓地など多様な施設がそれを支える住まいにおいてもライフプランが必要で、住戸のあり方、成長変化に対応した居住の場の確保、多様な世帯のニーズに対応した住まいの提供などのストックが必要になる。また人が生まれ、学び、働き、そして憩うという生活行為の無理のない環境を創出する場作りが求められる。それに加えて、人が快く老いを迎え、そして死に向かうことが安心して出来る環境も大切な場作りで、死者を弔うことを含めて人が住み続けることに繋がる行為であることを忘れてはならない。
多摩ニュータウンでは、日本全体が少子化であるにも係わらず子育て世帯は多く、慢性的な保育施設の不足で保育環境整備が課題になっている状況があるし、両親が働く世帯が多く、学童保育などの不備も指摘されている。また、高齢化に対する対応としても増え続ける高齢者に対して施設整備の不足があり、老健施設などの民間施設建設が進めている状こうした環境整備により実態としての需要と供給のバランスが取れていること況である。
が望ましいのだが、計画が後追いになってしまうのはやむを得ないことでもある右肩上がりの日本では老人ホームなどの施設は姥捨て山的な扱いを受けていて、人里離隔離された歴史があった。

しかし、れた所に建設され、今では高齢化は特別なものではなく日常的なことであることを漸く理解するようになり、各地の利便な場所に高齢者施設が建設されるようになってきた。多摩ニュータウンでも初期の老人ホームや高齢者の専門病院などは山裾に隠れるように配置されたが、今では駅近くに、そしてまちなかに建設され他の施設からコンバージョンされたりと多様な施設が整備され始めているたり、

こうした環境が整備される中で、高齢者の生活にも決まり切った選択ではない生き方が生まれている。
社会的入院の反省から生まれた高齢者支援施設。
そして施設介護の反省から生まれた高齢者居住施設。さらに居住施設ではない住宅そのものが高齢者の終の棲家と「永山ハウスもそれだ。三0代の夫婦かして生まれ始めている。
私達の取り組む(仮称)」ら七〇代の単身高齢者までが一つの屋根で共生するコーポラティブ住宅。最後まで我が家で過ごすことが出来るよう、在宅ホスピスの支援も受けられる環境を作ることを企画して人はいつか死ぬ。
その時に病院のクダの付いた装置に繋がれて逝きたくはないというのが万人の偽らざる心境ではないか。私の両親もクダに繋がれて息を引き取った。その時はすでに周りの存在にすら気を配れない状況である。人は人とふれあっていないと生き甲斐も生きている実感も感じられない動物である。最後の瞬間は思いがけない覚醒を覚えるのが自然な人の死だと言うが、親族と親しい友人と別れの言葉を交わしてから永眠したいものだ。

住民票(入居者全員·続柄)

入居者募集

そんな死に様を理想としたい。「永山ハウスには人が生まれ死んでいく全(仮称)」ての生活が営まれていく。地域で守られ地域で死ぬことの選択を得たい。最後の瞬間に一人一人と別れを確かめてドイツ人の老後逝きたい。そうした死があることを(一九九一年法政大学出坂井洲二は教えてくれた。版)ドイツの老人ホームでは最後の時を老練な館長の采配で、親しい友人や親族とお別れをするという。
館長には死期が来た老人の最期を確信する能力があり一人一人を部屋に向かい入れ、お別れを促すというくだりが覚醒であった。日本では嘗てはあつたろう、こうした行為が今でも日常的に行われていることの驚きを感じたし、自宅で家族に見守られて死を迎えたときに、医者がいなかったが為に警察の検死を受けなければならないなど、不可思議なことも多い。死は厳粛なものでありたいと思う。
葬儀の煌びやかさや会葬者の数を競うよりも質素に弔う方法を導きたい。墓においてもそうで、子供のいない世帯も多くなった今、永代使用の墓も不必要であろう。
前述の書には墓を守る期間と面倒を見る人が定められた個人墓が普通であるドイツのシステムが紹介されている。

そろそろ日本にもこうした弔いの方法が合って良いと思う。マンション管理を見直す戸建て住宅とマンションの管理住宅ローンが終わっても、管理費や修繕積立金の支払いが税金のように続いていくのがマンションだから、戸建て住宅が良いと言う人もいる。しかし、私はマンションが割安だ理由は一つ。みんなで管理することが出来るからに他ならない。と考えている。一戸建ては、グレードを上げたければ必要なときに自分の都合で修理も修繕もできる。
費用を掛けて建物を立派にし、費用が無い場合はとりあえず見送ればいい。建物は1年や11年、いや五年や10年、手を加えなくてもそうは傷まない物である。だから、建物に手を加えなくても維持管理費用はかからないと思っている人は少なくない。それが大間違い

なのだ。とりわけ建物の維持管理は素人には難しい。
だから建築業者の言いなりにならざるを得ないし維持管理コストもマンションの倍は掛かるのが実態だまず管理すべき建物の外装部の負担割合だ。
戸建て住宅とマンションとの差は、マン五階建てだと五分の一だし、ションの屋根は数軒の共同になる。10階建てだと十分の一外壁にしても四周が囲まれている建物の二方向か三方向がマンションで、になる。戸建て住宅は必ず四方向が外壁だ。屋根と外壁の修理は定期的にやってくる。それはマンションでも戸建て住宅でも同じで、維持管理を怠っていると建物の耐用年数にも影響する。
私の居住する団地では11戸を1戸として建てた戸建て風二階建て住宅がある。
その外壁や屋根の修繕費用を中層団地の修繕の費用と比較すると概ね11倍の開きがある。
住民票(世帯全員)建物の仕様にも違いがあるが、戸当たりの負担面積などの差以外にも規模のメリットがマンション·五倍くらいの開きがある。にはあり、同じ外壁塗装の単価でも一それも戸建ての場合は所有者自らが見積もりを取り、自ら品質管理をしなければならず、十分なチェックは出来ない。しかしマンションの場合は専門家に委託して総合的な管理が可能だ。もちろん戸建て住宅の修繕でも専門家に依頼できるが、その費用も割高になる。一方、居住性能にも違いがあり、冬の暖房や夏の暑さ対策にもコストの係り方が相当違う。
寝室の温度は摂氏八度が戸建て住宅、一五度がマンションである。東京の冬の朝、嘘ではない。事実である。集まって住むことの意味はこうしたところにも跳ね返ってくる。日本の室温コントロールで最もコストを使うのが冬の寒さ対策。

風通しの良い建物を作るのが日本家屋の心得だとすれば、いや、当然、冬の寒さは厳しい物になる。最近流行の外断熱の住宅を購入したとしても、外周から冷える戸建て住宅の温度コントロールは大変コストがかかるそして最も大きく影響するのが、建物の耐用年数の違いである。一般的に鉄筋コンクリートで建てられるマンションの耐用年数が七0年で実態としても六〇年を越えるのに対して、戸建て住宅はその半分の三0年である。
建築コストは多少違っても耐用年数は半分だと言うことはトータル的には建設コストも維持管理も倍掛かるという計算になり、二掛ける二で四倍のコスト差があることになる世帯数の減少で住宅が余ってくる。今後、その時に住宅余剰は何処から始まるか興味がある。これまで言われていたのは過疎地の空き家の発生だったが、今後は都市部にも及んでくる。特に既存市街地で基盤整備が整っていない密集住宅地と言われる地区。
東京都心部でも10キロ圏では木賃アパートや狭小宅地が集中していて、道路も狭く震災などで一端火災が発生すると一面火の海になる可能性のある地区である。そこには次第に空き家が増加している(一六)。
その点、多摩ニュータウンは安全だ。隣棟間隔の充分取れた住棟の並び、火災が発生してもコンクリート住宅は類焼の恐れはない。たとえ震災に遭遇しても比較的古い地層に位置する地盤は震災の揺れを和らげる効果がある。

何よりコンクリート住宅は地震にも強い耐震偽装が社会問題化されているが、木造建築の耐震性は確認申請での構造計算の義務化がされていないことや、建物竣工時の役所による検査が確認申請の数の二割ほどであるという実態から耐震性の確保が疑問視されている。
社長の土地にA社名義の借地権が

ゆたかがおか

クレープ

これらは今でも緑豊かな団地として管理されており、隣棟間の芝生の管理も自主管理で、エンジン付きの芝刈り機の数は相当なもので、居住者が参加する緑地管理の日の活動風景は圧巻である。それだけ空閑地が多く日当たりの良い芝生の広場があるという意味で、緑の環境は豊かである。それに引き替え、最近の民間開発のマンションは高密度である。多摩ニュータウンでは開発に制限があり一概ね一五○パーセントでコントロールされているが、それでも建物の高さは超高層も現れている。三階建てもあるが二四階建てもあると言うように敷地の活用は多様である。
それが駅周辺や新住地区からはずれて区画整理地区になるとたちまち容積それが一戸当た率は増加して、容積制限の三00パーセントを目一杯使った計画になる。そのマンションの住戸数は約一七〇戸。り二七平方メートルのマンションになる。私の住む団地の住戸規模と変わらないコミュニティである。そこには緑の環境は殆ど無い。建物は一棟。管理組合は一つ。
管理会社が徹底した管理を約束してくれていて、平均的な管理費と修繕積立金を合わせると二万五千円ほど。おそらく一0年くらい経つと修繕積立金の見直しがあり、毎月、三万円を越える出費となろう。
さらに固定資産税と都市計画税が毎月一万五千円から11万円という所で、固定費が四万五千円から五万円の出費というそれに加えて住宅ローンとなると相当な支払いになるが、ことになる。

管理費や修繕積立金はずっと続くコミュニティの結束は自らが困ってはじめて守りたいという意識が生まれたときから始10年ほど経ったあるマンションの管理組合の相談に乗っているのだが、まる。事はマン管理会社から管理費のアップと修繕積立ション管理費と修繕積立金の上昇から始まった。金の不足を告げられてから管理組合は動いた。管理費の上昇は窓口の管理体制の変更で対応するとともに、維持管理費は他から見積もりを取ることで、管理会社の見積もりを精査した。
そして使われていなかった機械式駐車場を解体して平置きに変更し、さらにマンション管理を多角的に見守ってくれる専門の管理者を委託して出費の必要な工事について徹底した相見積もりを実施した当然、管理組合は頻繁に議論して、ある時は紛糾したが、それでも住み続けることができるマンションになるためには議論は続けられ、結果として管理費も修繕積立金も上昇させずに継続して住み続けることができるようになった。

集中した議論の末に、人と人がコミュニケーションすることによって自主的な活動が生まれ、結果として経済効果のあるマンション管理ができることが始めて共通の認識になった。つまり顔の見えるコミュニティが問題を解決できる手段であることがわかったのだ。多摩ニュータウン内には民間マンションが急速に増えている。これらのマンションを管理するノウハウが今後も蓄積されることが必要である。

その為にも地域で支えるシステムが必要だ。先の管理組合の経験が有効なノウハウになる。地域に生まれたマンション管理のノウハウが新しいマンションに行かされるシステムが必要である。マンション管理に対して自治体も協力的である。相互に情報を提供し合うことで新たな展開は可能である。

住民票(世帯全員)地こうしたコミュニティが生まれれば、その自主的な管理組合運営の実現は難しくない。

中層住宅にエレベーターを設置する多摩ニュータウンの集合住宅の九一パーセントが三階から五階建てのエレベーターのな外部とのバリアフリーが確保できない状況で、い住棟で占められている現状からすると、結局住み続けられないままでの高齢化対策になり、住戸内のみを改善しても、効果は半減多摩市では平成一四年三月策定の住宅マスタープランに基づき、する。

中層住宅のエレベーター設置に伴う設計費補助を打ち出した。二箇年ほど予算を計上したが、結局、申しやむなく提案を取り下げることとなった。込みはゼロ。そして多くの高齢者がエレベ多摩ニュータウンの高齢化は待ったなしでやってくる。

ターのない中層住宅で居住している実態を考えるとエレベーター設置は的を射た施策ではあったのだが、実態は殆どが階段タイプの住棟であり、エレベーター設置の効果が余りにも効率が悪いこと、団地管理組合という性質上、増設に伴う合意形成が難しいこと、そして法的に増設するための手続きやその為に影響を受けることが多いことなど、実施に向けてのハードルが高いことが普及しなかった理由である。

しかし、これらのことはよくよく考えれば解ったはず。エレベーター設置が現実的ではないので事業としては取り下げられたが、現状のまま放住み続けられなくなること必至である。
置すると必然的に高齢化は進み、人口の移動状況を分析すると高齢者及び予備軍のこうした住宅からの転出が盛んに行われていて、団塊世代を含む高齢期を迎える前の世代がバリアフリー住宅を求めて移動していることがわかる(一五)老後の不安を解消するために転出している現実があることを自治体は密かにほくそ笑んでいるのではないかと勘ぐってしまうが、退職金を受け取る前の資金力のある団塊世代を転出させているのも事実で、総体的に考えて市の財政にメリットがある世代をみすみす失っているようにも見える。
現在の高齢者の多くは裕福な資金を持った世帯であり、団塊世代も今後退職金の一時金や貯蓄もある世代である。こうした裕福な世帯の転出を誘導するような施策を展開しているのが多摩市の現実である。今転居できる世帯は資金力のある世帯であり、都心のマンションや多摩ニュータウン近辺に新規供給されるマンションに転出している状況は容易に推察することができる。

多摩ニュータウンの住宅·市街地

平成25年都市計画現況調査

その中で
資金力もなく結果として移動が出来ず残されている市民も居るので、こうした移動の発生が高齢福祉の必要性を迫られる市政の中で、市の財政に有利に働〈とは考えにくい。むしろ、税での支援が必要な高齢者を増加させているのではないかと気になる実態である。思うのは私だけなのか、多摩市で今後進めなければならない施策は、住み続けられない住まいに困り果てて、やむを得ず住み移らなければならないと思っている高齢者世帯等を地域に定住させることであり、より豊かな生活環境を提案して住み続けてもらうことが重要である。
急ピッチの高齢化が危惧されていて、世代交代を促したいという意識も生まれるとは思うが、実態としては自力でカバー出来る経済力のある世帯を転出させ、住宅ローンを抱え子育て支援を受けなければ共働きできない借金世帯を増加させている事に他ならない。こうした若い世代その時はさらに高齢者が増えるのだから結局は問題の先送りでありも何れは高齢化し、無責任な対応であると思われる。

市民サービスの基本は高齢者本人への思いやりであり、住みたいところに住んで、健康で生き続けるための場の提供と暮らしのサービスを提供できる環境作りを推進することが行政としてのまともな考え方である。

少しでも高齢者の転出を抑制し、元気な高齢者が楽介護保険に頼らない生活の場を演出する。しく生活できる場を増やし、その上で若年世帯の転入を増加させるよう誘導することが必要である。若い世代も高齢者が安心して豊かに安心して集結する。居住している場所には魅力を感じ、高齢化は全国どこにでも起こる現象である。その中で多摩ニュータウンだけが回避しようなんて考えるのは不公平だし、利己主義そのものである。結局は生活者にとっては幸せになれない、偏ったコミュニティを形成してしまう結果になる。
世代を越えて共生できる環境こそ、これからの理想的なまちなのであるところで、エレベーターの設置についての施策であるが、一度始めた施策を取り下げる結果になったが、多摩ニュータウン内にはエレベーターを設置するのに効果的なマンションも見つけだせば少なからずあるはず。行政施策は補助などの予算をつけ、広報して知らしめることで行政施策として全うしたと思っているが、補助なしの支援施策も有効な手段となる。
写真の団地は多摩ニュータウン開発初期、昭和四八年入居の1棟からなる分譲マ

ンションで、敷地の高低差を利用して三階が玄関の七階建てのマンションだ。
中間階にアブローチするので、エレベーター設置のない建物として建設された廊下タイプの住棟であこのマンションにエレベーターを設置することの効果は、階段型の住棟にエレベーターを設置するより数段の経済効果や居住環境の向上を図ることが可能で、行政が積極的な支援に乗り出すことで効果的な成果が期待できるはず。
日本のニュータウンを知る資金を出せというのではない、エレベーター設置の効果があるマンションとして、資金投入の効果を居住者に説明することで分である。エレベーターの設置は資産価値の向上を促し、建物全体がバリアフリーマンそのマンションがエレベーター設置効率の良いマンションとして生き返ることになる。ションであることを管理組合に伝えることでバリアフリー化の呼び水となれば行政の役割予算がないことを憂うよりも、も達成される。市民の資産を如何に守るかの知恵を出す,もし、知恵もないとすれば地域の専門家を巻き込んで、とも行政の役割である。
知恵を集高齢化を恐れない団地づくり高齢化の問題は介護だとか医療だとかの費用負担という経済問題で片づけられる場合が多いが、居住者の立場から言えば高齢者一人一人が家族の中での役割分担や地域との関わりを育むことによって生き甲斐に繋がり、病気や介護も遠のく要素を持っている。すなわち高齢者が地域で役に立つ場があれば、高齢者問題も半減するのだという確信がある。

国で言う体力増強などは、ただ単に体力をストレッチで温存させようとする消極的な対策で『元気にしていろ』では健康維持の意欲が起こらないが、孫のため家族のためただ地域のためなどと社会的な役割が加われば、意欲的な体力の維持も必要になろうというもの。

役割があってこそ、百まで生きようと言う気になるのが人間の性(さが)とりわけ男性の場合、退職すると与え続けられた役割から開放されて人生の目的すら失ったように思う人がいるが、多くの場合、それぞれの専門性を持って働いていたり、会こうした能力を活かした役割が私の住む団地には社人間たるノウハウを持った人である。

引退した人達が自らお助け隊という組織を作り、ある。ヶ月に1回、団地内や周辺の見回りとゴミ集めを買ってでているリタイヤグループがある。メンバーの中にはパソコンの得意な方がおり、インターネットやパソコン操作の個別サービスをボランティアしていたり、大工仕事が好きで団地内のベンチの修理やペンキ塗りを一手に引き受けている方リタイア組ではないが雪の積もった日には必ず朝から延々と通学路の雪かもいる。
また、きを始める人も地域での役割を買ってでる人、団地中の植栽に気配りをして定期的に仲間を募って刈り込みなどの活動をする人など、その方の生き甲斐に繋がるものである地域に自主的に手を出すことを躊躇する風潮は多くの人にあるが、それを一歩踏み出せば自らの活動で成果が得られ、充実感もある。その雪かきのおじさんは、近くの緑道につも出かけて草刈りをするのが趣味にもなっている人でもある。
ジョギングでダイエット運動をかねてボランティアで汗をかくことで生き甲斐を得ているケースであるするより、「単なるジョギングより草刈りの方が自分に向いている」という哲学で草刈りは行われており、役に立つ喜びを感じているに違いない。

家なんていらない

住まいを補う

確かにダイエット効果が現れ、スリムになっ

団地を毎日見回り、ゴミの出し方、不審な人の進入、居住者の動きなどを常にチェックしている方がいる。高齢者と言うには元気な方だからシニア(先輩)とでも行っておこうか。日頃の団地管理を一手に引き受けている。業者に委託した修繕の完了状況の確認や定管理組合役員が日常的に対応できない所をサポートする。期清掃の確認、祭りや餅つきなどの古式ゆかしき作法も教え導いてくれる逸材である。
こうしたシニアは、おそらくどこの団地にも人材が眠っているはずである。
掘り起こすことで、団地も良くなるし本人の喜びもひとしおであろう。必要なのは、個人個人の能力が発揮できる場であり、共用のものに手を出せるコミュニティ環境とそれを否定しない組合員の心が欠かせない。個々の価値観は多様だが、美しい安心なもの快適なもの雪が降ったときに雪かきものには否定しないものである。している人を見て、不愉快には思わないものだ。

もし不愉快に思う人がいる場合は、自らの雪かきの出来ない自責の念が裏にある場合で、不健康な発想でしかない。他人の親切を素直に受け入れることも重要なコミュニティへの関わりであるこうした環境が出来れば高齢化は怖くない。高齢者の知恵と力が発揮できる環境に若い世代も集まってくるし子育ても安心だ。
多摩ニュータウン全体の組織化を多摩市にはまちづくり活動のNPOとしても幾つかの団体があり、多摩市のマスタープランづくりに意見するグループもある。
しかし、多摩ニュータウン全体のまちづくりを議論する場が無いことから、まちづくりの問題が多摩ニュータウン共通の問題として提案できないことが、まちづくり意識の育たない原因になっている。
各行政サイドでは行政区域内の問題として議論されているのだが、それぞれ多摩ニュータウンの置かれた位置で温度差があり、決して足並みが揃っているとはいえない状況である多摩ニュータウンの住民サイドからすると、各行政組織が温度差のないフラットな立場政策を進めて欲しいというのが思いであるが、現実には行われていないのがで議論をし、各行政の立場では必ずしも多摩ニュータウンに対する取り組みのスタンスが真相である。

同じではなく、同じ温度で政策を進めるというのは難しいというのが本音であろう。本来それぞれの生活圏を意識しながらまちづくりを議論することで、多摩ニュータウンのまちづくりを推進することが必要なのだが、そこは生活者としての住民がイニシアティブを取って行くことが必要になる。
地域にふさわしい都市計画や文化活動、教育福祉、経済活動など多様な議論が、多摩ニュータウンを構成する四市の立場を背景にしながら展開されることが大切である四市の市長が同一のスタンスで会議をしようと平成一三年五月、八王子市、町田市、多東京都副知事及び都市基盤整備公団理事による多摩ニュータウン摩市、稲城市の市長、が開催され、「多摩ニュータウンまちづくり協議会」サミット四市を中心とするの設置が合意された。

これを受け四市の助役と都の都市整備部長、そして公団の多摩ニュータウ「多摩ニュータウンまちづくり協議会」ン事業本部長がメンバーとなってを開催してきが、「地域活性化結果として図書館の相互利用を目指し地域のポータルサイトを構築する

部会」とアダプト制度について検討する都市管理部会の二つの専門部会を定め活動することを決めた公団や東京都が開発から退いていく中で四市の結束が必要でぁこうした動きは、今後、ることをアピールする切っ掛けにはなったが、多摩ニュータウンに取ってはさらに継続的な都市計画や都市経営のバックアップ組織作りが必要で、一時的なパフォーマンスでは間に合わない段階に来ている。
親の含み益を移転し一時的な専門部会ではなく、恒久的なまちづくり組織が必要その為には、だと考えている。多摩ニュータウン全域を研究活動の対象として活動する多摩ニュータウン学会やまちづくリの専門家などが、多摩ニュータウン全体の情報を統括して都市計画や都市経営についての計画を策定するなど、多摩ニュータウン全体を掌握する新たな機関の必要性を思うのだ。多摩ニュータウンには独自のまちづくり計画が必要である。これまで東京都や都市公団が都市計画や都市経営を担ってきた歴史がある。
それが独立行政法人UR都市再生機構に組織替えしたことによって多摩ニュータウンのまちづくりには係われなくなり、東京都も自らが抱えている未利用地を売却する地権者の一人になってしまった。そこでは何らかの形で行政が係わる必要があるのだが、東京都も都市機構も関係四市に任せてしまった格好しかし、各市には温度差があり、多摩市の担当者は真剣に対応するが町田市の担である。
当者は末端のことで、居住者と対峙するにも扱いは違うことになる。
これは致し方ないとで、各自治体の部分管理で多摩ニュータウン全体をコントロールするには無理があるそこで居住者自らがまちづくりを提案し、各自治体がその提案に習って事業展開をするという構図が求められてくる。

これらを司る組織が欲しい。その方法としては、各市から温度差に応じた人材を投入した独立した組織を編成する,とである。面積比で人数を配分して行く方法もあるし、市民サービスという視点では人口による人員配分も考えられる。さしずめ多摩センター辺りに事務所を置き、多摩ニュータウン全体の施策について協議する環境を作ることから始めることになる。
当初は多摩ニュータウン全体を理解することから始めて、問題点の掘り起こしから始めることになる行政施策としての提案など、まちづくりまち育てに関する議論は徹底して多摩ニュータウン発の議論として、問題課題のとりまとめからまちづくり方針の整理、そして計画の具体化実現のための施策の展開など必要な項目について徹底的に議論することから始める,とになる各メンバーに共通の問題意識や目標が次第に備わっていき、徹底した議論は、具体的な事業化に向けて発信するエネルギーとして蓄えられる。
そこに集まったメンバーは各市から集まった人材ではあるが、多摩ニュータウンの場において議論することで、必然的に多摩ニュータウンの中を意識し、提案や問題提起が出来るようになる。多くのアイディアや取り組み課題はその場に居てこそ生まれるもので、傍観者では行動に向けた力にはならない。核となる場に一同することが大切になる。

だからこそ、このように徹底して議論した事業計画を各市に持ち帰り、各々の自治体で事業化する,とになる。その場合は各市の共通認識の上で行われる事業であることが周知されているので、迷うことなく着実な事業推進が可能になる。迷いは必要なく、決まったことを行う自治体の役割があるのみである。このような多摩ニュータウンを司るまちづくり組織が継続

的に運営できる場が生まれることを望みたい。

多摩ニュータウンは既成の市街地とは大きく異なるエリアであり、その中をコントロールするのに既成の市街地と同様な視点では解決しないことが多い。そこで、独自の環境である市街地を政策的にコントロールする独立した政策集団の場づくりを始めていただきたい。
住み続けるためにマイナスをプラスにする高齢者が安心して生活できること安心して子育てが出来ることとは内容は違うとが背景は同様な意味合いを持っている。
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