形見分けの品を搬送

家を買わないかって

義務づけられることから、一戸当たりの面積が広く必要なファミリー中心の住宅供給が優先される。加えて建物や設備のメンテナンスのことを配慮すると自走式の駐車場が計画条件となり、駐車場部分と建物部分とで容積率を最大限有効に使う計画が生まれる。必然的に建物の形態は塔状または板状の高層、または超高層にならざるを得ない状況があり、結果として多摩センター駅周辺の景観はマンハッタンのように林立するマンション群と化している。
その時、多摩ニュータウンは多摩の中核都市として、大都市圏ネットワーク都市(衛星の一つとして確実に位置づけられることになる。いや、都市とは敢えて言わない)そうならなければ今後建設されるマンション群の行く末が不安で仕方ないというのが正直な感想である。

これらの帳簿価額が相続勢いよく高層マンション化している状況を見ていると、建物管理経費や修繕費用のランニングコスト確保の必要性が確実に増加してくる。ランニングコストは、そこに居住する世帯の定期収入に期待する必要があることから、居住世帯の高齢化などにより維持管理費用が滞っては建物保全は難しい。悪くすれば疲弊するマンション群という評価

を受ける結果ともなりかねない状況である。そうあってはならないとすれば、維持管理を支える個人の財布に期待していくしかないのである。
つまり、人口は常に新陳代謝し、高齢者と若い世代の住み替えを潤沢にして行く住宅ストックの循環が必要で、その為にはや高齢者が住み移れるコンパクトな住まいが必要なのだと痛感するのである。
はり、産学との連携ベッドタウンとして生まれた多摩ニュータウンを活性化させるためには、人口増加を支える環境要素がさらに必要である。一つが産業基盤であり、今ひとつが教育や研究施そのとりわけ今後の日本の産業構造がグローバル化の中で、設の充実である。通信やサービス産業にシフトしていくことから、多摩ニュータウン内での人材育成や就労環境の充実は住宅と並行して誘致および整備する必要がある。

安心して子育てが出来ること

幸い、多摩ニュータウンには初期段階からをはじめ九大学が開校している大学が誘致され、旧称東京都立大学首都大学東京アカデミックな環境がこうした大学での研究や修学に関連する人口も定住人口となるが、多くの先端企業進出の追い風にもなるもので、多摩ニュータウン居住者の就労先とも重なり相乗効果を生み出す人口を呼び込むためには魅力ある都市作りが欠かせない。
その為には多摩ニュータウンの魅力を最大限に活用することになる。

都心部とのアクセス環境の改善として自動車道路の整備やモノレールを初めとする公共交通ネットワークの充実、多くの公園や丘陵地形を活用したレクリエーション機能、さらにはサンリオピューロランドやラフェット多摩など広域的に利用さのアミューズメント施設やアウトレットショッピングモールの存在など、れる施設をアピールして来訪者を呼び込み、総合的に多摩ニュータウンの魅力を来訪者に定着させることが大切だ。

どこのニュータウンでも行えるはずで、こうしたニュータウンの魅力づくりは、私の関係した各地のニュータウンでも、遠州浜団地ならば、浜松市郊外の海浜に面した海浜海のリゾートに特化した環境でのレクリエーションとリゾート機能を高めた住宅供給や、整備で魅力あるニュータウンに変貌させることが出来るし、山間に開発した日立市の住宅地は企業の研究機関と一体にしたリサーチパークに変身させることも可能であろう。また千葉ニュータウンのように農業用地に隣接するニュータウンでは、農業と共存するブロジェクトを推進して農への就労環境の確保と地産地消をベースとした環境共生都市への再編も可能である人口や世帯数の減少社会で求められるまちづくりの要素は、そこに楽しく住み続けられ基盤整備が整ったニュータウンという環境を生かして個性的なまちる環境づくりであり、づくりが推進されれば、自ずとまちは活性化するものだと考えている。

日本のニュータウンを知る衰退をしてしまう基本的に自らの魅力をつかめていない所であり、個性的な魅力を見いだニュータウンは、して、修学と研究環境のある魅力あるニュータウン再生に取り組んでいただ産業と就労·きたい多摩ニュータウンには産業と大学がある。拠点駅をベースとしたオフィス群、幸い、町田市域には軽工業や大規模店舗が張り付き、幹線道路沿いには量販店が店舗展開するうした大型店舗は広域的な集客を意識しており、多摩ニュータウンに居住する有能な人材

と良質な住環境での生活を享受する目的で事務所機能も集積しつつある。
また、大学は有能な人材に多摩ニュータウンを知らしめる場でもあり、在学中に住み慣れた多摩ニュータウソに引き続き居住する研究者も多い。日本では少ないが、欧米では大学町もあるなど大学と都市との結びつきは重要だ。また、日本のニュータウンがベッドタウンであることから、住宅の集積は住宅産業を活性化させる。
住宅の維持管理、リフォーム、増改築などの産業は基幹産業となりうる。
とりわけ高齢化などでの住宅改造は今後も増え続けるし、バリアフリー住宅の少ない多摩ニュータウンでは、利用されなくなった賃貸住宅の総合的なリフォームなど、建物のコンバージョンビジネスにも結びつく。こうした住宅産業の台頭も地域に定着する人口を増やし、住み続けることが出来る多摩ニュータウンを育てることになり、結果として社会的な評価も高くなると考えている。
今後の都市は多くの機能が1カ所にあるのではなく、個性的な市街地が連担するネットワーク型の都市が台頭すると考えている。
人間生活にとってネットワークの基本は、住学ぶ憩う働く遊ぶが適度に連携した都市が望ましいわけで多摩ニュータむウンにはそれにふさわしい要素が集積している。

保証金に関する確認書

都市公団が提唱した多摩ニュータウンの基本テーマが住む、憩う、学ぶ遊ぶ働く、であったことを重ね合わせると要素についても、アミューズメント施設やレジャー施設の充実が整い始めており、総合的な町の様相を示している。このような環境が多摩ニュータウンにある限り、魅力的な都市であり続けることができよう。
自治体の横の繋がり多摩ニュータウンが四市に跨っていることの弊害は、市バスなどの交通のネットワークにも見られるが、多摩ニュータウンの重要な問題の一つである市バスの運行は各市の市民サービスとして四市共に行われている事業であるが、多摩ニュータウンの位置付けは各市によって大きく異なっており、とりわけ町田市や八王子市域での多摩ニュータウンエリアは辺地でもあり、サービス対象区域になるには相当な期間が必要である。

つまり、八王子市や町田市での多摩ニュータウン区域は市の中心から離れ市バスのサービスが受けにくい地区と言っても過言ではない。た僻地であり、それに引き替え、多摩市内のニュータウン部は市域の六割なのだから、当然のように多摩ニュータウンを中核に市バスが走る。

残念ながら多摩市の市バスだから多摩市のエリアを越しかし、えられないテリトリーが定められており、八王子市にも稲城市にも踏み込まない行儀のいい運行が行われている多摩ニュータウンは四市の部分を寄せ集めた都市である。
住宅団地地形的にも土地利用的にも明確に輪郭が描ける生活エリアであるにもかかわらず、横に連結するコミュニティバスのサービスがない。八王子市や町田市のサービスが難しければ、多摩市の市バスが運行すればいい。税金の使い方に問題があるというならば、各市が人口に併せて経費を負担するなど平等になるようなサービスをすればいい。頭は使いようである。融通を利かすことは出市バス来るはずで、を守る必要もない。地域バ何もかたくなに限定的な広域的なとして民間のバス会社に四市で委託すれば良い。
市バス結局はであっても民間のス

バス会社に代行してもらっているのだから、四市で話し合って市民サービスを向上させることをすればいい。行政の負担は変えないで、市民サービスの向上を図ることが様々な分野で出来るはずである。
すでに行政域を超えて利用されているのがゴミ処理場や火葬場などの共有施設によるサービス、市民向けのプールなど施設利用のサービスは広範囲に利用できるようになっただし、市民とそれ以外で価格差を付けている施設もあるが、ている。利用圏域を考えれその差を付ける必要もない。
たとえそれが市民の税金を使い整備したものとしてもば、福祉施設や公民館などの共同利用を押し進めた場合は説明も付く。図書館や体育施設、すプール利でに図書館利用は東京都の図書館とも連携して相互利用の拡大を進めているし、用なども始まっている。こうした市民向けのサービスを利用者側のニーズに沿った考え方でネットワークすると多様な施設が共同施設利用できるようになる。
こうした改善は行政内部でも検討が進んでいるとは思うが、市民からの要望や行政同士の横の関係を深める中で充実させることが出来るものだと考えている。

贈与契約書の例

空き家除去費補助金

従って、そのマンションはゴーストマンションへと転落するのである。とりわけ定期借地マンションで期限満了近くの管理組合の実態はどうなるのか想像するのも恐ろしい。使わなくなったマンションは自分だけの意志で、戸建て住宅のように解体して敷地だけにすることも出来ないから、管理費や修繕積立金を捻出するために賃貸活用するのが普通であろう。空き家が増加すると、そうした賃貸物件も増えてくるから次第に家賃相場も低下する。
平均で空き家が二割もあるような状況では、賃貸マンションによっては空き家が半分などと集中している地区も生まれてくる。過疎化も問題だが、居住していないマンションが増えることももっと問題で、維持費の掛かる収入を生まない資産はマンション所有者を苦しめる環境や建物そのものが良い条件のマンションであっても、コミュニティがしっかりしていないマンションも次第に人気を失う要素を持っている。
空き家の増加は犯罪の多発を生安全や安心が価値を生む時代になる。み、おそらく将来のマンションは砦である。
コミュニティがしっかりしていないと、いくらセキュリティを厳重にしてもコストばかり掛かって決して安全安心は確保できない。たとえば大規模マンションの管理は大規模なだけに抜厳重にすればするほど管理コストは膨大化する。社会経済が資産の循環で動け道もあり、くようになる時代に、維持管理費用の増加するマンションは敬遠される。将来のマンションは相互に競争する時代になる。
隣同士のマンションが安全安心を競う居住の価値を価格ではない評価で選択する時代が来る。
もちろんが、し、賃貸住宅などでは家賃が相場より安いことが空き家を発生させない条件になるが、その頃の家賃は相当こむやみに高いアパートも敬遠される。これから10年もたたない内にマンなされていて、ションの価値基準は大きく変化すると予想している。世帯が減れば空き家は増え、家賃相

場は下落する。低迷するのではなく下落するのだ。
家賃相場は、結局はマンション利用者の人気度で決まる家賃が一般的になり、同様に分譲マンションの中古価格も人気度で評価され、人気のないマンション価格は下落する。
その時、現状のマンション購入者は購入価格と中古価格との差額に愕然とするだろう。都市機構による分譲マンションの建て替えが行われている。ニュータウンの南大沢では、に分譲された三三戸の団地がそっくり再建された。

預貯金等の名義変更贈与続いて一九八九年平成元年平成11年建設の二つの団地が再建中である。高々、一五年ほどの建物が解体され0年建替を余儀なくされている現実が多摩ニュータウンにはある。ここには重大な建築瑕疵が報道により全国に広まった。存在しており、コンクリートの建物をそっくり建て替えるな前代未聞の出来事が身近で行われている。
どと言う瑕疵は私の知る限り初めてのことで、建築に瑕疵は付き物で、建設後発見された不備な部分を無償で修繕することを義務づける瑕疵保証がある。
修繕が前提で、建替など視野には入っていないのだがこれは都市機構旧都市公団はそれを受け入れた。事の起こりは当初からの雨漏りや隣戸からの音の貫通などの問題から始まった。
コンク巣が入っている状態がひどく、外部に露出している部分から雨が浸リートにジャンカ

隣との壁にコンクリートが詰まっていないので、漏れが激しいなど、み込んでくる。トラブルは多発していた。建設当時はバブル景気真っ只中。建設に携わる職人は少なく海外か多くの未熟な職人が出入りした。
建設ラッシュが資材調達を難しくしらの応援を含めて、そんな時代に約五00戸の住宅を111年間で建設した。て価格も高騰した時代である。こうした建設状況は当時どこも同じだった。まず、最初に三三戸の団地が建替られた。足かけ11年ほどの転居生活を経て新居に再入居した。
基礎を残しての改築という方便を使った事実上の建て替えは、入居者にとっては新築同様であり、対外的にも新築であった。築一五年の建物が新築になったことで、入居者の不満は少ない。

ユーザーが決まってしまえば経営リスクはありません。

それも問題発生の初期段階に建替が決定した経緯もあり、都市公団との交渉時間も少なかったことが、再入居率の高い再建となった。同時期の他の団地でも瑕疵問題が発生していた。一方、調査を重ね修繕で改善可能だという都市公団の申し出と管理組合側の意見が対立し問題が長引いていった。しかし、そこに生活しつつ問題を解決するという立場にいる居住者の辛さは想像を絶する。折から各地

新築同様であり、対外的にも新築であった。築一五年の建物が新築になったことで、入居者の不満は少ない。
それも問題発生の初期段階に建替が決定した経緯もあり、都市公団との交渉時間も少なかったことが、再入居率の高い再建となった。同時期の他の団地でも瑕疵問題が発生していた。一方、調査を重ね修繕で改善可能だという都市公団の申し出と管理組合側の意見が対立し問題が長引いていった。
しかし、そこに生活しつつ問題を解決するという立場にいる居住者の辛さは想像を絶する。
同族会社を設立(すでに同族会社がある場合は折から各地で地震災害が重なり、関東への震災が発生する前に移転したいとする入居者も現れ、売却して移転する世帯も現れた。建替か修復かが争点となっていた。ここでの問題は、たとえ基礎を残していても再建は新築と同様な安心感を生む。しかし、修復は瑕疵が隠れているかもしれないと言う不安を塗り込めてしまうように居住者には映る。居住者は再建を望み建設業者側は修復を主張する。とりわけ同じ団地内で棟によって再生方針が分かれる場合はさらに問題は複雑を極める。ここで問題を整理しよう。一つは、不動産価値としての評価である。
再建と修復では中古と新築の差がある。修復では瑕疵が隠されるのではないかという不安が残る。二つには、例え中古であっても普通の瑕疵物件に比較して不動産価値は落ちる。三つには、総コストである。今後の調査などのコストと再建コストは変わらないと言う現実である。当事者間争いの中心が不動産的な評価に原因するものではないかと思わの争点を耳にしていると、れてくる。

どの争点も不動産の価格に関わる評価の別れで、住み続けることを前提にした議論ではないように聞こえてくる。建て替えるか修復かは純粋に建築技術の問題で、建物が建設当時の技術基準に照らし合わせて同等な修復が可能かどうかの判断である。

田舎暮らし

出来なければ建て替えだし出来るならば修復になる。不動産価値の問題は別物である。しかし、居住者には収まらない気持ちもぁる。それは不動産が現金化できるものである限り結末は見えない闘争のように思う。住宅の余剰が顕在化してくる中で、建物が利用価値として評価されるようになると、修復であろうと建て替えであろうと、100年以上も使いこなせれば当初の一五年の推移はそれほど問題ではなくなる要素である。
大切なのは、問題を長引かせないで技術的な真を問い、新たな居住する場として使い続けることが大切である。とはいえ、人間の欲は収ほらない。

注記ニュータウンの未来(一五)秋元孝夫著(多摩ニュータウン·まちづくり専門家会議)ニュータウンの未来(一六)秋元孝夫著(多摩ニュータウン·まちづくり専門家会議)

多摩ニュータウンの未来を読む

未来予測の視点都市の骨格を見直す都市の未来を占うのに、ニュータウンは分かり易い回答を与えてくれる。
少子高齢化の現象は、同一世代が集中して流入したニュータウンには顕著に現れ、学校の統廃合の一方で高齢者施設の充実などの課題が浮かび上がる。
住宅不足に後押しされ建設された大規模団地は同一規格の住宅群で、多世代が混在するには住まいが固定的で理想的なコミュニティは形成しにくい。結果として、同一世代が集中して問題が集中する歪なコミュニティの大きな固まりとして地域に影響を及ぼすようになる。
また、市街地を歩車分離するために近隣住区理論とラドバーンの理論を高低差のある地形にダイナミックにあてはめたものだから、結果として段差のあるヒューマンスケールを越えた市街地が出来上がってしまった。
大規模な都市構造のあり様は、明確に土地利用区分に併せて大規模公営住宅や機構賃貸住宅群と言った社会的に限定されたコミュニティが形成されたことにより、多様な価値観の共有するコミュニティミックスが発達せず、地域内での偏りのあるコミュニティが生む問題を浮き彫りにさせしてきたまた、大規模公園や市街地を区分する緑地の連続や集積は、必ずしも景観の美しさや良好な環境をもたらすものではなく、防犯や維持管理の問題を生みだしたし、丘陵地という高低差のある地形を利用した明解な歩車分離の構造は、コンビニのようなロードサイド施設の誘致を妨げ、身近なバス利用も階段や急なスロープなくしては利用できない不便なものにしてしまった。
親の含み益を移転しこのように、大規模にダイナミックに開発したことによる弊害、それに加えて大規模に短期間で供給した均一な住宅、そして持ち家、借家という性格の異なる歪なコミュニティを生み出した事実を見逃せない。団地群を形成させたことにより、こうした都市の構造を今後どのように改善することで良好な市街地に再編できるのか多摩ニュータウンに与えられた課題は大きい。われわれ多摩ニュータウン住民にとって、これらの課題を一つ一つ解決して行くことで多摩ニュータウンの未来が拓けると考えている。我々は新たな都市の姿を求めて再編を始めなければならないときに来ている。
改めて都市を見直し、未来の多摩ニュータウンを創るためのコミュニティのあり方、住まいや環そしてそれを支える経済について持続可能な都市経営が可能な新たな仕組みを見境の姿、出すことが必要になっている。その仕組みを多摩ニュータウンに居住する市民や専門家が結集して、解決策を探ろうと考えている。専門家のみならず居住者、行政、外部からの応援団などを結集して、新たな多摩ニュータウンを共に創り上げてみるつもりである。

多摩ニュータウンに対するこうした試みは、未来の多摩ニュータウン住民のために役立つのみならず、様々な地域でまちづくりに係わる人々の参考になるものだと思うし、現実的に起こっている事象について解き明かすことで、同様な問題を抱える地域でのまちづくりの参考になると考えている。たとえば建設後三五年を経過した、住宅面積が三0平方メートル台の一五00戸の公営

住宅がある。
隣接して五○平方メートル余りの三八五0戸の公団賃貸住宅が一団を成してその賃貸団地に組み入れられたような配置で六四〇戸や八八0戸の分譲団地が再生おり、を模索している。このようにすでに三五年を経過した住宅団地群には解決すべき問題課題が山積している。
とりわけ、公営住宅制度や公団の賃貸住区制度などの既成施策では、高齢者や低所得層の集中といった偏りが地域のコミュニティを疲弊させる問題として顕在化しており、地域のみの問題として解決することの出来ないものとなっている。
それは国の法的な改正も視野に入れた総合的な取り組みが必要になって住宅政策上の課題でもあり、このままでは公営住宅には高齢者が集中することは必至だし、大規模すぎる住宅ストッ安易に家賃を下げれば貧困世帯をさらに集中させるこクは次第に空き家を増やしていき、とにもなる。

及び本契約条項のいずれかに違反した時。

高齢者を呼び込むことになる

産院、保育園、学校、公園、公民館、図書館、劇場、遊技場、温泉飲食店、マーケット、病院、寺院、斎場、墓地など多様な施設がそれを支える住まいにおいてもライフプランが必要で、住戸のあり方、成長変化に対応した居住の場の確保、多様な世帯のニーズに対応した住まいの提供などのストックが必要になる。また人が生まれ、学び、働き、そして憩うという生活行為の無理のない環境を創出する場作りが求められる。それに加えて、人が快く老いを迎え、そして死に向かうことが安心して出来る環境も大切な場作りで、死者を弔うことを含めて人が住み続けることに繋がる行為であることを忘れてはならない。
多摩ニュータウンでは、日本全体が少子化であるにも係わらず子育て世帯は多く、慢性的な保育施設の不足で保育環境整備が課題になっている状況があるし、両親が働く世帯が多く、学童保育などの不備も指摘されている。また、高齢化に対する対応としても増え続ける高齢者に対して施設整備の不足があり、老健施設などの民間施設建設が進めている状こうした環境整備により実態としての需要と供給のバランスが取れていること況である。
が望ましいのだが、計画が後追いになってしまうのはやむを得ないことでもある右肩上がりの日本では老人ホームなどの施設は姥捨て山的な扱いを受けていて、人里離隔離された歴史があった。
日本のニュータウンを知るしかし、れた所に建設され、今では高齢化は特別なものではなく日常的なことであることを漸く理解するようになり、各地の利便な場所に高齢者施設が建設されるようになってきた。多摩ニュータウンでも初期の老人ホームや高齢者の専門病院などは山裾に隠れるように配置されたが、今では駅近くに、そしてまちなかに建設され他の施設からコンバージョンされたりと多様な施設が整備され始めているたり、

こうした環境が整備される中で、高齢者の生活にも決まり切った選択ではない生き方が生まれている。
社会的入院の反省から生まれた高齢者支援施設。
そして施設介護の反省から生まれた高齢者居住施設。さらに居住施設ではない住宅そのものが高齢者の終の棲家と「永山ハウスもそれだ。三0代の夫婦かして生まれ始めている。
私達の取り組む(仮称)」ら七〇代の単身高齢者までが一つの屋根で共生するコーポラティブ住宅。最後まで我が家で過ごすことが出来るよう、在宅ホスピスの支援も受けられる環境を作ることを企画して人はいつか死ぬ。
その時に病院のクダの付いた装置に繋がれて逝きたくはないというのが万人の偽らざる心境ではないか。私の両親もクダに繋がれて息を引き取った。その時はすでに周りの存在にすら気を配れない状況である。人は人とふれあっていないと生き甲斐も生きている実感も感じられない動物である。最後の瞬間は思いがけない覚醒を覚えるのが自然な人の死だと言うが、親族と親しい友人と別れの言葉を交わしてから永眠したいものだ。

入居者募集

そんな死に様を理想としたい。「永山ハウスには人が生まれ死んでいく全(仮称)」ての生活が営まれていく。地域で守られ地域で死ぬことの選択を得たい。最後の瞬間に一人一人と別れを確かめてドイツ人の老後逝きたい。そうした死があることを(一九九一年法政大学出坂井洲二は教えてくれた。版)ドイツの老人ホームでは最後の時を老練な館長の采配で、親しい友人や親族とお別れをするという。
館長には死期が来た老人の最期を確信する能力があり一人一人を部屋に向かい入れ、お別れを促すというくだりが覚醒であった。日本では嘗てはあつたろう、こうした行為が今でも日常的に行われていることの驚きを感じたし、自宅で家族に見守られて死を迎えたときに、医者がいなかったが為に警察の検死を受けなければならないなど、不可思議なことも多い。死は厳粛なものでありたいと思う。
葬儀の煌びやかさや会葬者の数を競うよりも質素に弔う方法を導きたい。墓においてもそうで、子供のいない世帯も多くなった今、永代使用の墓も不必要であろう。
前述の書には墓を守る期間と面倒を見る人が定められた個人墓が普通であるドイツのシステムが紹介されている。
住民票(世帯全員)そろそろ日本にもこうした弔いの方法が合って良いと思う。マンション管理を見直す戸建て住宅とマンションの管理住宅ローンが終わっても、管理費や修繕積立金の支払いが税金のように続いていくのがマンションだから、戸建て住宅が良いと言う人もいる。しかし、私はマンションが割安だ理由は一つ。みんなで管理することが出来るからに他ならない。と考えている。一戸建ては、グレードを上げたければ必要なときに自分の都合で修理も修繕もできる。
費用を掛けて建物を立派にし、費用が無い場合はとりあえず見送ればいい。建物は1年や11年、いや五年や10年、手を加えなくてもそうは傷まない物である。だから、建物に手を加えなくても維持管理費用はかからないと思っている人は少なくない。それが大間違い

なのだ。とりわけ建物の維持管理は素人には難しい。
だから建築業者の言いなりにならざるを得ないし維持管理コストもマンションの倍は掛かるのが実態だまず管理すべき建物の外装部の負担割合だ。
戸建て住宅とマンションとの差は、マン五階建てだと五分の一だし、ションの屋根は数軒の共同になる。10階建てだと十分の一外壁にしても四周が囲まれている建物の二方向か三方向がマンションで、になる。戸建て住宅は必ず四方向が外壁だ。屋根と外壁の修理は定期的にやってくる。それはマンションでも戸建て住宅でも同じで、維持管理を怠っていると建物の耐用年数にも影響する。
私の居住する団地では11戸を1戸として建てた戸建て風二階建て住宅がある。
その外壁や屋根の修繕費用を中層団地の修繕の費用と比較すると概ね11倍の開きがある。

社長の土地にA社名義の借地権が

建物の仕様にも違いがあるが、戸当たりの負担面積などの差以外にも規模のメリットがマンション·五倍くらいの開きがある。にはあり、同じ外壁塗装の単価でも一それも戸建ての場合は所有者自らが見積もりを取り、自ら品質管理をしなければならず、十分なチェックは出来ない。しかしマンションの場合は専門家に委託して総合的な管理が可能だ。もちろん戸建て住宅の修繕でも専門家に依頼できるが、その費用も割高になる。一方、居住性能にも違いがあり、冬の暖房や夏の暑さ対策にもコストの係り方が相当違う。
寝室の温度は摂氏八度が戸建て住宅、一五度がマンションである。東京の冬の朝、嘘ではない。事実である。集まって住むことの意味はこうしたところにも跳ね返ってくる。日本の室温コントロールで最もコストを使うのが冬の寒さ対策。

預金と借金の両建て風通しの良い建物を作るのが日本家屋の心得だとすれば、いや、当然、冬の寒さは厳しい物になる。最近流行の外断熱の住宅を購入したとしても、外周から冷える戸建て住宅の温度コントロールは大変コストがかかるそして最も大きく影響するのが、建物の耐用年数の違いである。一般的に鉄筋コンクリートで建てられるマンションの耐用年数が七0年で実態としても六〇年を越えるのに対して、戸建て住宅はその半分の三0年である。
建築コストは多少違っても耐用年数は半分だと言うことはトータル的には建設コストも維持管理も倍掛かるという計算になり、二掛ける二で四倍のコスト差があることになる世帯数の減少で住宅が余ってくる。今後、その時に住宅余剰は何処から始まるか興味がある。これまで言われていたのは過疎地の空き家の発生だったが、今後は都市部にも及んでくる。特に既存市街地で基盤整備が整っていない密集住宅地と言われる地区。
東京都心部でも10キロ圏では木賃アパートや狭小宅地が集中していて、道路も狭く震災などで一端火災が発生すると一面火の海になる可能性のある地区である。そこには次第に空き家が増加している(一六)。
その点、多摩ニュータウンは安全だ。隣棟間隔の充分取れた住棟の並び、火災が発生してもコンクリート住宅は類焼の恐れはない。たとえ震災に遭遇しても比較的古い地層に位置する地盤は震災の揺れを和らげる効果がある。

何よりコンクリート住宅は地震にも強い耐震偽装が社会問題化されているが、木造建築の耐震性は確認申請での構造計算の義務化がされていないことや、建物竣工時の役所による検査が確認申請の数の二割ほどであるという実態から耐震性の確保が疑問視されている。