及び本契約条項のいずれかに違反した時。

高齢者を呼び込むことになる

産院、保育園、学校、公園、公民館、図書館、劇場、遊技場、温泉飲食店、マーケット、病院、寺院、斎場、墓地など多様な施設がそれを支える住まいにおいてもライフプランが必要で、住戸のあり方、成長変化に対応した居住の場の確保、多様な世帯のニーズに対応した住まいの提供などのストックが必要になる。また人が生まれ、学び、働き、そして憩うという生活行為の無理のない環境を創出する場作りが求められる。それに加えて、人が快く老いを迎え、そして死に向かうことが安心して出来る環境も大切な場作りで、死者を弔うことを含めて人が住み続けることに繋がる行為であることを忘れてはならない。
多摩ニュータウンでは、日本全体が少子化であるにも係わらず子育て世帯は多く、慢性的な保育施設の不足で保育環境整備が課題になっている状況があるし、両親が働く世帯が多く、学童保育などの不備も指摘されている。また、高齢化に対する対応としても増え続ける高齢者に対して施設整備の不足があり、老健施設などの民間施設建設が進めている状こうした環境整備により実態としての需要と供給のバランスが取れていること況である。
が望ましいのだが、計画が後追いになってしまうのはやむを得ないことでもある右肩上がりの日本では老人ホームなどの施設は姥捨て山的な扱いを受けていて、人里離隔離された歴史があった。
日本のニュータウンを知るしかし、れた所に建設され、今では高齢化は特別なものではなく日常的なことであることを漸く理解するようになり、各地の利便な場所に高齢者施設が建設されるようになってきた。多摩ニュータウンでも初期の老人ホームや高齢者の専門病院などは山裾に隠れるように配置されたが、今では駅近くに、そしてまちなかに建設され他の施設からコンバージョンされたりと多様な施設が整備され始めているたり、

こうした環境が整備される中で、高齢者の生活にも決まり切った選択ではない生き方が生まれている。
社会的入院の反省から生まれた高齢者支援施設。
そして施設介護の反省から生まれた高齢者居住施設。さらに居住施設ではない住宅そのものが高齢者の終の棲家と「永山ハウスもそれだ。三0代の夫婦かして生まれ始めている。
私達の取り組む(仮称)」ら七〇代の単身高齢者までが一つの屋根で共生するコーポラティブ住宅。最後まで我が家で過ごすことが出来るよう、在宅ホスピスの支援も受けられる環境を作ることを企画して人はいつか死ぬ。
その時に病院のクダの付いた装置に繋がれて逝きたくはないというのが万人の偽らざる心境ではないか。私の両親もクダに繋がれて息を引き取った。その時はすでに周りの存在にすら気を配れない状況である。人は人とふれあっていないと生き甲斐も生きている実感も感じられない動物である。最後の瞬間は思いがけない覚醒を覚えるのが自然な人の死だと言うが、親族と親しい友人と別れの言葉を交わしてから永眠したいものだ。

入居者募集

そんな死に様を理想としたい。「永山ハウスには人が生まれ死んでいく全(仮称)」ての生活が営まれていく。地域で守られ地域で死ぬことの選択を得たい。最後の瞬間に一人一人と別れを確かめてドイツ人の老後逝きたい。そうした死があることを(一九九一年法政大学出坂井洲二は教えてくれた。版)ドイツの老人ホームでは最後の時を老練な館長の采配で、親しい友人や親族とお別れをするという。
館長には死期が来た老人の最期を確信する能力があり一人一人を部屋に向かい入れ、お別れを促すというくだりが覚醒であった。日本では嘗てはあつたろう、こうした行為が今でも日常的に行われていることの驚きを感じたし、自宅で家族に見守られて死を迎えたときに、医者がいなかったが為に警察の検死を受けなければならないなど、不可思議なことも多い。死は厳粛なものでありたいと思う。
葬儀の煌びやかさや会葬者の数を競うよりも質素に弔う方法を導きたい。墓においてもそうで、子供のいない世帯も多くなった今、永代使用の墓も不必要であろう。
前述の書には墓を守る期間と面倒を見る人が定められた個人墓が普通であるドイツのシステムが紹介されている。
住民票(世帯全員)そろそろ日本にもこうした弔いの方法が合って良いと思う。マンション管理を見直す戸建て住宅とマンションの管理住宅ローンが終わっても、管理費や修繕積立金の支払いが税金のように続いていくのがマンションだから、戸建て住宅が良いと言う人もいる。しかし、私はマンションが割安だ理由は一つ。みんなで管理することが出来るからに他ならない。と考えている。一戸建ては、グレードを上げたければ必要なときに自分の都合で修理も修繕もできる。
費用を掛けて建物を立派にし、費用が無い場合はとりあえず見送ればいい。建物は1年や11年、いや五年や10年、手を加えなくてもそうは傷まない物である。だから、建物に手を加えなくても維持管理費用はかからないと思っている人は少なくない。それが大間違い

なのだ。とりわけ建物の維持管理は素人には難しい。
だから建築業者の言いなりにならざるを得ないし維持管理コストもマンションの倍は掛かるのが実態だまず管理すべき建物の外装部の負担割合だ。
戸建て住宅とマンションとの差は、マン五階建てだと五分の一だし、ションの屋根は数軒の共同になる。10階建てだと十分の一外壁にしても四周が囲まれている建物の二方向か三方向がマンションで、になる。戸建て住宅は必ず四方向が外壁だ。屋根と外壁の修理は定期的にやってくる。それはマンションでも戸建て住宅でも同じで、維持管理を怠っていると建物の耐用年数にも影響する。
私の居住する団地では11戸を1戸として建てた戸建て風二階建て住宅がある。
その外壁や屋根の修繕費用を中層団地の修繕の費用と比較すると概ね11倍の開きがある。

社長の土地にA社名義の借地権が

建物の仕様にも違いがあるが、戸当たりの負担面積などの差以外にも規模のメリットがマンション·五倍くらいの開きがある。にはあり、同じ外壁塗装の単価でも一それも戸建ての場合は所有者自らが見積もりを取り、自ら品質管理をしなければならず、十分なチェックは出来ない。しかしマンションの場合は専門家に委託して総合的な管理が可能だ。もちろん戸建て住宅の修繕でも専門家に依頼できるが、その費用も割高になる。一方、居住性能にも違いがあり、冬の暖房や夏の暑さ対策にもコストの係り方が相当違う。
寝室の温度は摂氏八度が戸建て住宅、一五度がマンションである。東京の冬の朝、嘘ではない。事実である。集まって住むことの意味はこうしたところにも跳ね返ってくる。日本の室温コントロールで最もコストを使うのが冬の寒さ対策。

預金と借金の両建て風通しの良い建物を作るのが日本家屋の心得だとすれば、いや、当然、冬の寒さは厳しい物になる。最近流行の外断熱の住宅を購入したとしても、外周から冷える戸建て住宅の温度コントロールは大変コストがかかるそして最も大きく影響するのが、建物の耐用年数の違いである。一般的に鉄筋コンクリートで建てられるマンションの耐用年数が七0年で実態としても六〇年を越えるのに対して、戸建て住宅はその半分の三0年である。
建築コストは多少違っても耐用年数は半分だと言うことはトータル的には建設コストも維持管理も倍掛かるという計算になり、二掛ける二で四倍のコスト差があることになる世帯数の減少で住宅が余ってくる。今後、その時に住宅余剰は何処から始まるか興味がある。これまで言われていたのは過疎地の空き家の発生だったが、今後は都市部にも及んでくる。特に既存市街地で基盤整備が整っていない密集住宅地と言われる地区。
東京都心部でも10キロ圏では木賃アパートや狭小宅地が集中していて、道路も狭く震災などで一端火災が発生すると一面火の海になる可能性のある地区である。そこには次第に空き家が増加している(一六)。
その点、多摩ニュータウンは安全だ。隣棟間隔の充分取れた住棟の並び、火災が発生してもコンクリート住宅は類焼の恐れはない。たとえ震災に遭遇しても比較的古い地層に位置する地盤は震災の揺れを和らげる効果がある。

何よりコンクリート住宅は地震にも強い耐震偽装が社会問題化されているが、木造建築の耐震性は確認申請での構造計算の義務化がされていないことや、建物竣工時の役所による検査が確認申請の数の二割ほどであるという実態から耐震性の確保が疑問視されている。