倍率方式

美しい街並みは地域の財産!!

中には二四時間営業を売りにしているスーパーも現れている時代である旧商店街のシャッター通りは滅びても仕方ない。そのかわり商店主も住んでいるニュータウソに商売の拠点を移すのも一つの選択。人のいるところにビジネスは成立するし商売の考え方を顧客本位に切り替えれば商いは成立する。とりわけインターネット販売や通販などのビジネスも成立する時代である。場所を選ばなくてもビジネスは出来るれは各地のニュータウンに同様に通じる真理であるように思う。時代は大量消費から少量多品種の個別消費時代に入っていく入り口にある。
ニュータウンにビジネス拠点が移動するとさらにニュータウンには雇用も生まれ定住化もし易くなる。都市基盤がしっかりしているので流通などへの対応も容易で、通信環境も整っている。こうしたニュータウン開発のメリットを生かした新規事業を組み立てれば効率の良いビジネスが展開できるはずであるそれに、ニュータウンには人材がいる。

住宅団地大卒の専業主婦層が比較的集中するのがニュタウンの特徴だし、持ち家取得でローンを抱えるというハードルのある中堅勤労者達がいまた、その退職者達は専門的な知識と業務経験を持ったスペシャリストも多い。る。それほどの人材に恵まれたニュータウンである。地域の活性化には大きな知恵になり知的財産でもある。加えて高齢化も味方する。定年退職者が集まることで選挙などには力を発揮し利益誘導には欠かせない勢力となろう。これからは都市の選別の時代であり地域間競争の時代である。こうした時代に勝ち残れるニュータウンであるためには、人·物·金がバランス良く集積する必要がある。
これら

の条件を一手に引き受けられるのがニュータウンである。だから私はニュータウンに対する悲劇的な見方はしていない。全国で高齢化や過疎化が進むニュータウンと悪評されたとしても、ニュータウンには人·物·金の三拍子が整っていると考えている。
それを活かすも殺すもニュータウン居住者である生活圏と行政界の谷間で多摩ニュータウン区域の八王子市域の住民が多摩市への編入を望み、一時期、行政に進言したことがある。
対象区域を地形的に見ると、多摩市に編入されることが住民サービスを容易にすると誰が見ても思うのだが、その編入は許されなかった。

総資産価額

多摩ニュータウン開発が始まる前の山林であれば、丘陵地を斜めに区切る行政界も不自然ではないが、宅地開発後は戸建て住宅団地を斜めに分断する市境は困りものだ。本来、開発に伴い行政界も整理すべきであったのだが、現実は行政界をそのままに開発を終え分譲したものだから、つの団地の中に行政界が走り、ご丁寧に区分された宅地の真ん中にも斜めに走る境界があり、居住者としては困惑する。おまけに、自治組織としての町内会も分断されているのだから、隣同士が違う行政サービスを受けることになる。ゴミの出し方から回覧板まで、隣とは違う行政サービスが行わこれではまちの運営は難しい。
とりわけ八王子市役所へは、れる。バスを乗り換え1時間以上もかかる場所にあるのだから行政サービスを受けるには徒歩でも利用できる多摩市役所の方が良いと思うのは致し方ない地区である。図書館も警察署も文化施設も多摩市の施設を利用する方が便利なのにもかかわらず、編入は許されなかった。行政界はその時代に合わせた合併や政治的な背景で決まってきた歴史がある。
しかし戦国の時代のように統治する領地で勢力争いをする時代ではない。
及び本契約条項のいずれかに違反した時。時代は三世紀である。にも関わらず、同様な思想で行政界が取り巻く不合理な現実に矛盾を感じるのは私だけなのか。多摩ニュータウン開発によって生まれた住宅地に居住するものの権利や義務はどこにあるのか、ニュータウン開発の象徴的な出来事であったと思っている。一度、地域の仲間とその境界線を歩いてみた。道路が分断されている所では、ガードレールの種類も異なり、ペンキの塗り具合も違っていた。
敷地の中に境界線がある宅地は空き地になっていたし、同じ街区なのに市の名前が違っているという不思議な光景も確認した。その地を初めて訪ねる人はとまどうに違いない。多摩ニュータウンにはこうした陰の部分がまだまだあるのだが、大きく見ると都市の構開発の区域や時代構成が、七0年代、八○年代、九0年代、造は明確で、二000年代と段階的な整備が見られ、住宅地の構成も大振りで特徴が出やすい傾向がある。

従って時代に相応した栄枯盛衰も極めてブロック単位で明瞭に表面化していることから地域毎の問題点を浮き彫りにすることが可能だと考えている。まちづくりの問題をエリアを限定した問題してクローズアップすることでこのように、固有の問題として解決方法も見つけやすいので、全国のニュータウン問題の事例として扱そこで本書では多摩ニュータウンのまちづうにはもってこいの地域であると考えている。

くり問題を題材として、全国のニュータウン再生や活性化方策の参考として、あるいは地域のまちづくり·まち育て活動の事例として、役立つ参考書としていただければ、私とし

てこの上ない喜びである国立社会保障·人口問題研究所の報告では、二00六年には人口減少社会が始まり、二〇一五年からは世帯数も減少し始めると発表されている。

とりわけ地方においては人口減少も早く現れるが東京圏も二0110年からは下降段階に入るとされる。その時、全国のニュータウンのどこが生き残れるのか、未来を展望して活動していくことが大切である。

多摩ニュータウンから未来を占う千里ニュータウンの街開きからほぼ一〇年遅れた多摩ニュータウンでは、オイルショッその後の開発である他の市域とでは明確に状況が異ク前の開発地区のある多摩市域と、多摩市域では世帯分離や住み替えで人口減少が始まっているものの、なっている。

市街化区域

他の三市では新規住宅建設が続き、人口が増加している。そのことで多摩ニュータウン全体とし人口増加が続いている開発規模は千里ニュータウンの約11倍、ては現在も尚、日本最大の新住宅市街地であり、計画当初から時代の変化に右往左往させられながら、のらりくらりと段階的な開発が続いてきた。
こうしたこともあり、全体を通してみると少子高齢化の動きも平均化し緩和されていると見ることができ、総合的に見ると世代バランスもオイルショックまでに殆どの住宅整備が終わった千里取れているという結果になる。オイルショック以降に本格的なまちづくりが始まった多摩ニュータウンニュータウンと、との違いが街の様相を違えている。
千里ニュータウンが一三年間で人口のピークを迎えたのに対して、多摩ニュータウンでは三五年経っても人口が伸び続けている所に基本的な違いがある。
土地売却のスピードやタイミングがその違いを裏付けることになるが、千里ニュータウンの開発主体が大阪府企業局であったことと、多摩ニュータウンでは都市機構や東京都が開発主体であったことの違いがその運命を決定づけたという論評もある。結果として開発初期の多摩市のニュータウン人口に着目すると、街開き後110年で下降に向かっており、限定的ではあるが少子高齢化の問題や課題を噴出させている。
しかし多摩ニュータウン全体としては今も人口増加をしているのが実態であるこのように見てくると、全国に分布するニュータウンを一元的にくくるのは元々無理があることが解るはず。
これらの帳簿価額が相続多摩ニュータウンの場合は開発時期のずれや地理的な事情から必ずしも老朽住宅が全体に分散しているのではなく、一部に集中しているに過ぎないのである多摩ニュータウンの場合は開発初期の住宅が多摩市に集中しており、必然的に多摩市は急速な高齢化で財政負担が過剰に膨れあがるという財政危機に構えることになる。こうした状況から離脱するためには人口増加がめざましい稲城市との合併も望ましいのだが、現状ではこうした議論は机上には乗らないようだ。ニュータウン開発という共通の考え方で整備されたエリアであるので、本来、行政界を区分せず融合合併の方向は示せないものか。
自治体レベルではできないことならば、多摩ニュータウン市民が公共サービスの享受する中で、市民共通の利益になるものだとして市民生活環境を融合する術を考えてみたい。行政区は違っても市民生活は共通している。その中での棲み分けを行政単位でない形で構築できれば良いと考えている。

多摩ニュータウンを模式化してみると、やはり多摩市と稲城市の市域には多摩ニュータウンが占める割合が高い。
従って多摩市も稲城市も多摩ニュータウンを主役の一つとして置かなければ行政はままならない。また多摩ニュータウンに占める面積規模としては八王子市が多摩市と,,規模である。